1897(明治30) 年3月11日


 三月十一日 木
 起て寝部屋を出ると久保田米斎と和田が来て居た 又加藤氏が暇乞かたがた来られた 十二時少し前ニ関如来が来た こんな事でとうとう朝の仕事ハ出来ず 午後少し計裸などかいた 四時頃ニ久米 小代 合田 松波等が来 又藤島も来た 今夜ハ安藤と出逢ふ約束だつたが此の集会ではづす事叶ハず 電信で断をやる 藤島ハ帰りあとの者等と赤阪のそばやニ行き九時頃まで話した 此の頃ハ余程暖ニ為つて居たが今夜などハ又冬ニ立ち帰つた様な寒さだ 内へ帰つて見たら清が国から帰つて居た 国の左右や又伊木氏の変死様子など委しく聞た