1895(明治28) 年2月1日
二月一日 (従軍日記) 昨夜ハ寝て居ル面ニ雪が降りかゝりたるに少シ閉口したり 朝七時少シ前ニ転地の命下る 僅一里計ノ処迄行事故ゆるりと昼めしなど喰て立つ 今日こそは何処を見ても真白也 雪まじりの風ニ面をたゝかれて行 鳳林集ヲ引上げ徐家河方向ニ向フ兵と一緒ニ為り足の運ビ自然よし 虎山ニ至り舍営す 虎山の入口の河原の柳林ナドハ真ニ其儘で立派な文人画也
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月一日 (従軍日記) 昨夜ハ寝て居ル面ニ雪が降りかゝりたるに少シ閉口したり 朝七時少シ前ニ転地の命下る 僅一里計ノ処迄行事故ゆるりと昼めしなど喰て立つ 今日こそは何処を見ても真白也 雪まじりの風ニ面をたゝかれて行 鳳林集ヲ引上げ徐家河方向ニ向フ兵と一緒ニ為り足の運ビ自然よし 虎山ニ至り舍営す 虎山の入口の河原の柳林ナドハ真ニ其儘で立派な文人画也
二月二日 (従軍日記) 雪ハ晴たれど寒さ強し 昨日からしきりニ嚏が出て風気分故今日の滞在ハ至極妙也 養生の為終日内ニ引籠り暮らす 夜食後山本が酒貰ニ管理部ニ出懸け九時過か十時頃ニコニヤク一本をさげて帰り威海衛ハ落チ定遠 鎮遠ハ分取と為たと云ので皆々大ニ喜びさてハいよいよ明日威海衛ニ乗込む事かなと即ちコニヤクを少しづゝ飲ミナガラ帝国万歳を唱へたり 寝る前ニ堀井君より風の薬を一服貰つてのむ
二月三日 (従軍日記) 今朝聞て見れば昨夜の話の中敵の艦隊の降参ハ全く誤ニテ威海衛ニ第二師団ノ二大隊が入り込みたる丈の事と知れ甚だ失望したり 右の次第故前進ハいつの事やら未ださつぱり知れず 今日も昨日ニかハらず咳が出る故終日内ニごろごろしながら Tu seras Soldat を読む 今日ハ寝床の方ニ居る連中が punaises ガ出タト云テ狩を始む 成程矢張仏蘭西辺のピー公と同じもの也 オレ等ハ土間ニ高梁のからを敷て寝て居るから先づ心配少シ 仕合也 午後ニ伊地知中佐が見へて記者連中ニ戦略のあらましをかたり聞かせられたり いよいよ此の威海衛の戦ハ陸軍の仕事ハ遂ニ全ク終りこれよりハ只海軍の仕事のみとの事 又夜食後六時頃ニ藤井少佐が来て今夜ハ海軍が水雷艇ヲ以テ攻撃をする筈故望の者ハ見物ニ行可しと達セラレタリ 即ち皆々身ごしらへを為す オレハ未だ風がよく為らず今此処で山上カ海岸に出テ夜明かしをすると甚だ面白クナイガ皆が行クと云ノニ風引だと云て引込で居るのハ余り残念な話シ 夫レニオレガ此の戦見物ニわざわざ出懸て来たのハ何も楽をしニ来て居る訳ぢやない いよいよ此の病が強く為るものか一番運だめしに行て見んと皆と打連れて出懸 おぼろ月夜ニ雪の道虎山村を出て威海衛街道ニ入り五六町行テ右の方ニ在ル小高き山ニ登りたり 此の山の上ニ野砲四門有り 之レハ去二十九日ニ張家口子ニ在りし我兵を打ちしものならんか 此の山の峯を通りぬけて又一の高き山ニ登り岩山の間ニ座して海戦を見ル事半時計 目の前灯光二つ程見ユ 敵ノ軍艦カ又ハ劉公島の砲台カ 其他ハ只どろりとして居て何も見へず 時々火打石を打つ如クピカリピカリとして砲声聞ユ 之レ所謂海戦者 全体今夜ハいつもより少し暖かナレド山上ト云ヒ夜と云ヒ中々寒シ 遂に連中の内こんな処ニ居ハ屹度病気ニ為ル 夫れニ戦と云てハ余りよくハ見へず 又此の月が有る内ハ水雷艇も進撃すまじ 帰つてハどうだと云ヒ出す者有れば直ニ賛成者が出来急ニ同勢九人と為る 此レも亦時の運と思ヒ皆々一緒ニ虎山ニ帰ル
二月四日 (従軍日記) 高等文官の宿ハオレ等ノ居る家の条向だと云事ハ聞て居たけれど此ノ二日と云ものハ風の気分で引込で居たから出懸ず 今日ハ昨夜の登山ナドニもかゝわらず病気も殆ド全快故一寸話ニ行た 島村 荒川 松方三氏皆お揃ニテいづこも同じく此の不意ナル滞在ニお体屈ノ体也 先生方ノ宿もオレナドノ居ル家より左程立派でもない オレが行て居る内ニ或ル新聞社の野間某と云人が来て大寺少将等戦死セラレタル時の模様ヲ委しくかたりそれから琉球ニ居りしとかにて同国の気候風俗産物等の話ヲ始めたので面白ク長座して帰る 今日メール新聞ノ頭本君帰りくる 氏ハ去ル二十九日より我党を去り行方知れず為つて居りしニ二師団の方ニ行て居て戦闘線ニ出て戦の様子を見て来たとて帰へり来られたり 先ハ或ル新聞記者が戦死せシト聞し時ニハ大層心配したが先無事で結構 夜越智君が友人ニ鯉ノ滝上りト金杯と云芸ヲスルモノ有リト云話をして皆大笑す
二月五日 (従軍日記) 定遠 鎮遠が取レヌオ蔭デ此ノ虎山ニ無限滞在スルコトトハ為ル 又虎山ト云処ハ極の寒村ニテ土民ハ皆逃テ居ラズ 何モ徴発スルモノナク食物ハ段々麁末ニ為ルノデ皆々閉口 中ニモ山本ノ酒ノマワリガ悪ク為ルノデ毎日其事計云テフサイデ居ルサマいかニも憐也 ダガ今日ハ奴ガ大ニ憤発シテ大根ノ中ニ鶏ヲ入レテ煮テ食ハセタ 非常ニ甘カツタ 食物ノ粗ナルヨリ馬小屋ニネルノ苦シサヨリ何ヨリ感心セヌモノハ多年来オレヲクルシメタ例ノピー的ダ 此ノ名ヲ支那語デチユートンと云フ 臭虫と書ク也 此ノ虫ニ苦シメラレテ尤モヨワツタモノハ天野君也 今夜引越ヲヤラカシオレの隣ニ来て土間にねル オレハ始カラ土間ニねて居たが為カ一度一寸手首ヲヤラレタ計デ何ヨリうれし 此の家ノ庭カラ前ヲ見タ景色ハドコと無ク Jouyen Giosas ニ似テ居ル 只ジユイでハ谷ノ向ガ岡ニ為テ居ルノニ此処でハ山ニ為て居ル そうして此処ニモ Pluplier d’italie ノ様ナ形ノ木が沢山生テ居ル ダガ形ガ似て居ル丈デ何ノ木ダか分らず 薪用ノモノカ余り大きく為たノも見当らぬ也 ネヨウトスル時久保田米斎と云画師が日本より来る 田島彦次郎君が一軍ノ方へ行ノデ同船して来タトノ話 此ノ人ガブランデーヲ少し持て居たノデ山本黄キ声を出シテ喜ブ 今晩少シモ砲声ヲ聞カズ
二月六日 (従軍日記) いよいよ我水雷艇が功を奏して敵艦二艘をしづめて仕舞つたとの事 これハ一昨夜と昨夜ノ二度ニやつたよし 又此ノ戦ニハ我方ニモ水雷艇が二艘程傷ついたとか云へど之レハ明ナラズ 先ヅ此ノ日ハ無事ニすみ夜食と云段ニ為た時酒が渡り其酒が不充分と云時ニ管理部の或ル軍夫が来 其人ニなき付き又酒を得 遂ニ其人も一緒に酔はしめ長じりと為り酔ハぬ連ハ甚だ閉口した 明朝七時より海陸総攻撃と云事が参謀部より達し来りたるに依り其積ニてねる
二月七日 (従軍日記)〔図 写生帳より〕 同宿ノ者皆少シ寝過て六時半頃ニ起出で芳翠老ノ仏蘭西流のソツプを飲み出懸く 此時ハ已ニ大砲の音が聞エ始めたが先夜登りし山の麓ニ至る頃ニハ敵方よりの砲声が小銃の打合程頻り 実ニ盛也 山の上ニ上り付きしばらく立てO島の砲台ニ火上ル 火楽庫ノ破裂と見ユ 此ノ頃より七八艘の軍艦が祭祀砲台ノ前がわの方ニ集りたり 此ノ時一と条の黒煙を長く引て北山嘴ノ鼻を過ぎ走る軍艦ヲ見る 此ノ舟が山影ニかくれたる頃ニ又一の軍艦劉公島ノ後ニあらハれたり 之レ我艦が敵ノ北ルヲ逐ふモノカ 此れより砲声も静りけれバ今日の戦ハ大体此ニテ終りたるならんと思ひ遙かあなたニ見ゆる此辺で一番高き山の上ニ司令官の居らるゝ様子故其方ニ向ヒ行く チリチリニ分れて出懸けシ我党の者共も皆此処ニて合ス 又松方君 ドラブリー氏等に逢フ 十一時過ニ司令官ニついて山を下り宿所ニ帰る 帰て庭の大がめの上ニ馬乗りニ為て何か山本と話をして居る 山本ハ舍栄営して居る時ニはく為ニ金州から持てきた広島出来のセツタト下駄の相の子の様ナはきものゝ鼻をしたてゝ居る処ニ工藤がやつて来たので今朝のソツプを飲ます 其ソツプから直ニ話が巴里と為つた 今日ハ極テ長閑ナ天気 夫レニ今朝の勝戦と来て誠に心地よし 松方君が見へて一緒ニ散歩ニ出懸く 司令部の前で軍楽隊が諸国のたのしきふしの楽を奏して居たのでしばらく聞て居た 後松方君の処ニ行く 色々ナ話して帰る 晩めしニ酒も少シ飲ミよきかげんのはだ具合で庭ニ出てドウモいゝ月ぢやナイカなど云て二三人で話して居る処ニ一人郵便を受取て帰り黒田君ニも有ると云て出すのを取て見れば金州で急ニ別れた奈良崎君が広島よりよこした手紙也 委しき手紙ニて甚だうれし 再び第二軍ニ従軍する事叶ハずして第一軍の方へ行事と為た次第 真ニ気ノ毒也 北京で逢ふとハ云て来たがオレハ威海衛から帰朝する筈故とても今しばらくハ逢事叶まじ (欄外 山東ニ来て今日始めて音楽を聞)
二月八日 (従軍日記) 昨日沖合を北ニ向て走りたる二艘の軍艦ハ敵身方と見て取たれど素人の身そこないニてあれハ我巖島 扶桑の二艦が敵の水雷艇を逐ひたるなりと知れたり 水雷艇ハ皆申合セ本艦を見捨て芝罘を指してにげ出シタルニ十三艘丈ハ我が手ニ入ル 内ニ艘ハ歩兵が取り一艘ハ工兵が取ル 陸兵が水雷艇を取ルトハ随分奇也と謂可シ 十三艘我手ニ落タリトハ云ものゝ逐かけたる時打沈メテ我有と為りシハ七ノミ 今日ハ戦の翌日ニて例の如く天気美しからず 併降ると云迄ニ至らず 朝工藤の処ニ話ニ行た アヽ昨日こソハたしかに威海衛の掃除が出来た事かと思ひの外未だ敵ハ戦闘力を失ハぬとかニテいよいよ此処ニ滞在ハ長引わい だが何もする事なく暮すのハ日が立つて見れバ幾日居ても一日の如き心地がするが本をひろげて見たりとろとろといねむりをしたりして居る内ニ早晩めしと為た 此処の庭ニ繁で有る驢馬と似た様ナものさ 此の陣中のめし時と云ものハ格別ナもので餓鬼道ニ落たと云ハ此の事か をし合をし合してめしをつけたり汁をよそつたりする様 Théâtre Français の木戸口ニ異ナラズ 其筈サ 十四人も居ル丈夫な二才衆が食事の外楽が無いと来て居るのだものヲ 食後四五人でたき火ニあたつて居た処ニ副官部の伊豆大尉が見へて話が面白クナツタ 栄城ニテ強姦シタル兵士ノ事から軍法会議の事ニ移り夫レカラ或る週番士官が下士を打タルコト 其処で山本が話を引受ケ或ル兵が煙草をのんでとがめられ口から出ル煙ハナンダト云ハレテどうりで胸がやけると思ひましたと落して仕舞つた
二月九日 (従軍日記) 朝村田少佐ヲ訪ひ船便の事を話す 山本 林の似氏昼めしを食て直ニ威海へ立つ 夜食後原田君も威海へ行 皆ゝ此の永逗留ニ体屈し始めたのだ オレもいつ迄もこうして居られぬから船の都合ニ依テハ帰つて仕舞ンかと思ひ今朝村田氏ニ頼で置たら藤井少佐が引受たとの事故今夜司令部内の参謀部ニ行藤井氏ニ会フ 船便を聞たら明朝分るとの事 今日ハ久し振で水彩ノ景色ヲかきニ出て夕方帰る 堀井君が山本ニ代りて管理部長と為り料理をやらかす 非常ニ甘き味噌汁ナドが出来た 此事を妻君ニ云てやりたいものだナドト雑談を云てめしを食ひ酒を飲む 二人人がへつたので余程ゆつくりとし座てめしヲ食た 例の如くしやれやら又盛ニうぬぼれ話ナドが出て面白シ 今夜雪が降り出シ夫ニ月ハよく寒い景色也
二月十日 (従軍日記) 今朝起て見たら雪が二三寸も積で居て四方の眺ナカナカよし 九時半頃より堀井 越智 古谷 久保田諸氏ト海岸砲台見物ニ出懸く 馮家河 鳳林集等を経て龍廟嘴の砲台ニ着シたる時ハ已ニ午後二時頃也し 馮家河の入口ニテ石井大尉ニ出逢ヒ其馬ノ後ニついて行たるニ依り都合がよかつたが徐家屯ニテ大尉を見失ナヒ夫れから少シまごついた為メ時間も余程そんをした 頭本君が泊つて居つたのハ即ち此ノ龍廟嘴の砲台ニテ同氏より此処ノ守備隊の砲兵士官鈴木中尉 福田中尉の二氏へ紹介してくれたから二氏中々親切ニ苦戦ノ話ナドシテ聞カシテくれた 話がすんだ処で越智君が誠ニ申兼ましたがとめしを食ハしてくれと頼だらそれハと云て直ニめしを命ジテくれたがソー直ニハ出来ズ 五時頃に為て始めてめしが食へた うまかつたうまかつた 鶏の汁ナドハ一生忘れがたかる可し 帰りがけニハ徐家屯を出ると夜が入り鳳林集ハ大抵此の辺だつたろうと云て行過て行けば後の山の上月が出た 十五夜の月か 皆でうかれ出シ道ノ難儀も打忘れて詩ナドうなり始む 八時頃虎山ニ達ス
二月十一日 (従軍日記) 昨日のつかれなどぐつすりと寝込みたる処ニ戸の外でオレを呼ぶ者が有り ビツクリして起て見たら朝早七時ニて藤山君がやつて来た 寺内少将ニ今暇乞ニ行たらオレハ一緒ニ帰らぬかとの伝言だつたとの事 其処で直ニ仕度をして立つ 寺内氏と一緒ニ来て居られた丸山知彦氏と虎山を出懸た時ハ八時頃也 温泉湯を経川を幾度も渡り蔭山口ニ着た時ハ十一時頃也 三時頃ニ寺内氏も来られ錦川丸と居ふ小蒸汽ニ乗リ込ム 七時頃ニ龍睡湾ニ着ス 直ニ病院船として此処ニつなぎ有る神祐丸と云ニ移る 松方 荒川氏より伝言有り 松方氏よりハヒモ靴を送る可き事陸軍省へ頼む可し云々 荒川氏よりハ夏服ノ事
二月十二日 (従軍日記) 此の船ニぶらりとして居て読本も無く至極体屈
二月十三日 (従軍日記) □□□□(原文不明)始メテ万国丸ニ乗移る事と為る 六時頃寺内氏乗船 直ニ出航ス 今度も亦人夫と同席スル事と為る 今度の人夫ハ大抵淡路の者共ニテ此の船の雇人足なれば丸山氏トオレの為メニ此の下等中の一番いゝ場処をゆづり旦那方と云て尊敬ス そうしてねると云段ニ為たら珍らしそうニ大勢枕本ニ集つて来てケツトなど広げるのを見てナントカカントカしやべつて居る体ろうやニはいつた時か又ハ博徒の仲間入でもした時ハこんなものかと思ハる 併し鶏頭至極結構也 めしハ水夫連と一緒ニして中々いゝものを食ハす 兵庫丸の時ニ比ぶれバ上等也
二月十四日 (従軍日記) 曇天気ニテ風強 波高く甲板の散歩も心ニ任せず 小説を一冊借り来りて日を暮らす 気分殊の外悪からず 夜ニ入つて船の動揺益甚シ
二月十五日 (従軍日記) 天気悪キ事昨日の如し 併しはだもち余程暖也 風の吹く処ニ外套なしニ立つて居ても少シも寒ヲ感ゼズ 舟のゆるゝ事ハ矢張はげし 丸山君ハ昨夜も今朝もめしを食ハずニ寝て居られたれどオレハ一度も欠けず 今度ハ不思議ニナントモナイのハ真ニ仕合也 正午頃より対州が見へ出した 下等のきたない甲板のヅツクのかぶさつて居る処ニ腰をかけて小説を読で居たら上等の boy が通りがゝりニ憐れとや思ひたるにや箱の中から蜜柑を二ツ三取り出してめぐんで呉れた ありがたくうれしく押頂て収めぬ 虎山で堀井君の友人なる杉君が来た時ニ蜜柑を呉れたが一の蜜柑を四ツ位ニ切つて僅ニ其一と片を食ふてよろこんだが今日ハ独りで丸ごと食ふとハぜいたくな話だ 夜八時頃ニ下の関の入口ニ来り いかりを下して此処ニ錠泊ス 此ノ辺潮の流急ナル上浅瀬多きが故なるべし
二月十六日 (従軍日記) 朝五時頃ニ船再ビ進行し始めぬ 七時頃起出でゝ見れバ左右ニ一と筋の山ぞ見へけり 昼めしの頃ニハ陸いよいよ近づき村も処々見へ麦畑とおぼしく青々としたる処の有るなど今迄の不愉快ナル気分もくるしき支那の戦も皆忘れ去りて未来即チ此の舟のとゞまらん処ニハ言語ニ盡されぬ楽しき事の待ち居るかの如き思ひ起りぬ