1895(明治28) 年2月8日


 二月八日 (従軍日記)
 昨日沖合を北ニ向て走りたる二艘の軍艦ハ敵身方と見て取たれど素人の身そこないニてあれハ我巖島 扶桑の二艦が敵の水雷艇を逐ひたるなりと知れたり 水雷艇ハ皆申合セ本艦を見捨て芝罘を指してにげ出シタルニ十三艘丈ハ我が手ニ入ル 内ニ艘ハ歩兵が取り一艘ハ工兵が取ル 陸兵が水雷艇を取ルトハ随分奇也と謂可シ 十三艘我手ニ落タリトハ云ものゝ逐かけたる時打沈メテ我有と為りシハ七ノミ 今日ハ戦の翌日ニて例の如く天気美しからず 併降ると云迄ニ至らず 朝工藤の処ニ話ニ行た アヽ昨日こソハたしかに威海衛の掃除が出来た事かと思ひの外未だ敵ハ戦闘力を失ハぬとかニテいよいよ此処ニ滞在ハ長引わい だが何もする事なく暮すのハ日が立つて見れバ幾日居ても一日の如き心地がするが本をひろげて見たりとろとろといねむりをしたりして居る内ニ早晩めしと為た 此処の庭ニ繁で有る驢馬と似た様ナものさ 此の陣中のめし時と云ものハ格別ナもので餓鬼道ニ落たと云ハ此の事か をし合をし合してめしをつけたり汁をよそつたりする様 Théâtre Français の木戸口ニ異ナラズ 其筈サ 十四人も居ル丈夫な二才衆が食事の外楽が無いと来て居るのだものヲ 食後四五人でたき火ニあたつて居た処ニ副官部の伊豆大尉が見へて話が面白クナツタ 栄城ニテ強姦シタル兵士ノ事から軍法会議の事ニ移り夫レカラ或る週番士官が下士を打タルコト 其処で山本が話を引受ケ或ル兵が煙草をのんでとがめられ口から出ル煙ハナンダト云ハレテどうりで胸がやけると思ひましたと落して仕舞つた