1895(明治28) 年2月3日


 二月三日 (従軍日記)
 今朝聞て見れば昨夜の話の中敵の艦隊の降参ハ全く誤ニテ威海衛ニ第二師団ノ二大隊が入り込みたる丈の事と知れ甚だ失望したり 右の次第故前進ハいつの事やら未ださつぱり知れず 今日も昨日ニかハらず咳が出る故終日内ニごろごろしながら Tu seras Soldat を読む 今日ハ寝床の方ニ居る連中が punaises ガ出タト云テ狩を始む 成程矢張仏蘭西辺のピー公と同じもの也 オレ等ハ土間ニ高梁のからを敷て寝て居るから先づ心配少シ 仕合也 午後ニ伊地知中佐が見へて記者連中ニ戦略のあらましをかたり聞かせられたり いよいよ此の威海衛の戦ハ陸軍の仕事ハ遂ニ全ク終りこれよりハ只海軍の仕事のみとの事 又夜食後六時頃ニ藤井少佐が来て今夜ハ海軍が水雷艇ヲ以テ攻撃をする筈故望の者ハ見物ニ行可しと達セラレタリ 即ち皆々身ごしらへを為す オレハ未だ風がよく為らず今此処で山上カ海岸に出テ夜明かしをすると甚だ面白クナイガ皆が行クと云ノニ風引だと云て引込で居るのハ余り残念な話シ 夫レニオレガ此の戦見物ニわざわざ出懸て来たのハ何も楽をしニ来て居る訳ぢやない いよいよ此の病が強く為るものか一番運だめしに行て見んと皆と打連れて出懸 おぼろ月夜ニ雪の道虎山村を出て威海衛街道ニ入り五六町行テ右の方ニ在ル小高き山ニ登りたり 此の山の上ニ野砲四門有り 之レハ去二十九日ニ張家口子ニ在りし我兵を打ちしものならんか 此の山の峯を通りぬけて又一の高き山ニ登り岩山の間ニ座して海戦を見ル事半時計 目の前灯光二つ程見ユ 敵ノ軍艦カ又ハ劉公島の砲台カ 其他ハ只どろりとして居て何も見へず 時々火打石を打つ如クピカリピカリとして砲声聞ユ 之レ所謂海戦者 全体今夜ハいつもより少し暖かナレド山上ト云ヒ夜と云ヒ中々寒シ 遂に連中の内こんな処ニ居ハ屹度病気ニ為ル 夫れニ戦と云てハ余りよくハ見へず 又此の月が有る内ハ水雷艇も進撃すまじ 帰つてハどうだと云ヒ出す者有れば直ニ賛成者が出来急ニ同勢九人と為る 此レも亦時の運と思ヒ皆々一緒ニ虎山ニ帰ル