1897(明治30) 年4月12日
四月十二日 月 晴 モデルが来たが只一寸形を極めた丈で勉強ハ出来ず(客が有つたりして) 佐野 杉 伊藤も見へた 常客の外ニ菊地の紹介で書生が一人来 又美術学校の乾氏が来た 杉と小代の処ニ四時頃から出かけ佐野の内へも寄り四人で品川の熊公の処でめし 此の人数で帰りニ溜池の角の茶屋ニ立寄り十二時頃ニ帰る 今朝の一番気車で中村ハ京都ニ帰つた
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
四月十二日 月 晴 モデルが来たが只一寸形を極めた丈で勉強ハ出来ず(客が有つたりして) 佐野 杉 伊藤も見へた 常客の外ニ菊地の紹介で書生が一人来 又美術学校の乾氏が来た 杉と小代の処ニ四時頃から出かけ佐野の内へも寄り四人で品川の熊公の処でめし 此の人数で帰りニ溜池の角の茶屋ニ立寄り十二時頃ニ帰る 今朝の一番気車で中村ハ京都ニ帰つた
四月十三日 火 晴 溜池の伊豆屋で白馬会の相談
四月十四日 水 風引で内ごもり
四月十五日 木 雨 紅葉館ニて仏蘭西会
四月十六日 金 晴 金子ニ会し又道鏡の為ニ外交談判を開く
四月十七日 土 曇 柳光亭ニて白馬会
四月十八日 日 雨 夜霽 合田 道鏡 松波と緑屋□□□□(原文不明)
四月十九日 月 内ごもり 安藤 藤島 道鏡と夜食
四月二十日 火 学校ニ出 安藤と柳橋百□□(原文不明)を見扇亭と桃屋ニ道鏡を訪
四月二十一日 水 夜雨 道鏡ト久を訪ひ小代と一緒に為り道 小ト桃に一泊
四月二十二日 木 風 小金井の桜見 同行四人 杉 合 菊
四月二十三日 金 晴 学校 昼安仲と精養軒 夜食久 安ト山王 道鏡□(原文不明)夜
四月二十四日 土 晴 舟こぎ 安 杉 佐 久 岩 後ちニ小代も来桃□(原文不明)亭にて合す 佐 山と三人で山下ニ立寄つて帰る 今朝京都の小山が見へた
四月二十五日 日 曇 昼めしハ和田と食ふ 午後裸をかく 伊豆屋ニテ夜食 会者杉 菊地 岩村 杉 菊ハ内ニ夜話ニ来た
四月二十六日 月 農商務省での会議の為一時半出頭 安藤ト山王で夜食 後ち仏文夜学会の生徒の試験を見ニ行た 田中相吉氏ニ初メテ対面 学校ニ出
四月二十七日 火 安仲 岡田 和田 藤島 北ト昼めし 浅草公園から柳里へ回り十一時半ニ帰ル
四月二十八日 水 モデルが来 客ハ田中相吉 佐野 菊 杉 夏井潔 林政文 小林 岡田 山王山で菊 杉 佐と夜食
四月二十九日 木 加藤垣忠ヲ帝国ホテルニ訪ふ 午後仕事す 大八木氏来
四月三十日 金 モデルが来 五時頃加藤が来た 杉 菊と伊豆屋ニテ夜食 築地まで散歩 田中氏来ル
五月一日 土 午後学校ニ出 安藤と柳里ニテ夜食 一時過帰宅