本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年1月21日

 一月二十一日 月 (欧洲出張日記) モデル来らず 十一時頃 Benezech のむす子来 注文品の為め四千仏を払をした 佐と門前でめし 食後事務局へ行キ船賃割引の証明書と日本美術史一冊とを貰った 一旦内へ帰り出直してタナグラを買ニ行き Soufflot でめし 後エシヨリエにて日本へ出す手紙をかき一時帰宅 今日は雨で丸で春雨のやうなり 文部省へ申報書を出す

1901(明治34) 年1月22日

 一月二十二日 火 (欧洲出張日記) 諸請取書などをかたづけ額縁屋に裸体がの縁と画布を注文し門前で佐とめし めしの時にモデル Augustine が今日は差支があると云て断りニ来 食後暗くなるまで裸体画の地をかく 夜ハ菊へやる手紙をしきりにかいて居た 画をやめて板のまにひつくりかへつて昼寝 佐 中と門前でめし 夜十二時頃までドミノ 安藤から内の庭先で写した写真来

1901(明治34) 年1月23日

 一月二十三日 水 (欧洲出張日記) 今日日本から手紙が来 佐野への手紙が封入してあつて渡す 大理石屋が火箸の事で来て注文の約束が済んだ 其後ストーブの煙筒がこわれて其直し方で混雑した 逃げたモデルの妹が来たが仕事が出来ずに帰へす 夕方ブルス氏来訪 久保田三時頃来 晩ハめしを炊く 中も一緒 佐ハ中トオペラコミクへ行く 昼めしハ門前

1901(明治34) 年1月24日

 一月二十四日 木 (欧洲出張日記) 佐野と昼めしハ門前でやる 午後 Gust来 晩めしは佐と Sofflot でやる 食後エシヨリエに行き一時過帰る 此の日夕方仕事を仕舞ふ前に Gust の従妹 Camille Camuyet と云ふのが来 明日より雇ふ事を約束す

1901(明治34) 年1月25日

 一月二十五日 金 (欧洲出張日記) 朝 Camille 来る 門前で佐とめし 二時 Gust 来 合田 佐野喜三郎が暇乞ニ来た 久保田君も来て居た 久 佐と Soufflot でめし エシヨリエで珈琲 九時四十分 Gare de Lyon に合田の見送り 久米等と電鉄でモンパルナスまで来 二時頃まで佐とかたる

1901(明治34) 年1月26日

 一月二十六日 土 風あり (欧洲出張日記) 朝 Camille 門前で Cam. と佐と食ふ 午後 Gust 来 三時頃久保田君来 今晩モデル連があばれ夜食は久 佐と日本飯 夜小林を中が連れて話ニ来た 一時頃まで皆と話す 中ハ早くねる

1901(明治34) 年1月27日

 一月二十七日 日 風つよし (欧洲出張日記) 朝 Camille と仕事す 昼 Augt. 姉妹立寄る 佐と門前でめし 中も来る 二時 Camille 再来 久保田来 四時過 Augt. 姉妹再来 夜食は皆一緒に内でやる 中も加る 同勢七人 九時頃岡田来 M.B. 来 モデル連ハ十一時頃帰り皆と三時頃までかたる 画室ニテ宴会ヲ催ス

1901(明治34) 年1月28日

 一月二十八日 月 雨 (欧洲出張日記) 朝 Camille 来 門前で佐と二人でめし 二時 Augt. 来 五時頃久保田君来 久 佐と三人で Bruce 家で晩めしの御馳走になる 帰路天文台前通の珈琲屋に立寄り一時過帰宅 Sounier と云建築師を Bruce 方にて知る

1901(明治34) 年1月29日

 一月二十九日 火 (欧洲出張日記) 朝 Camille 佐と門前でめし ねむくてたまらないので一寸いゝ気持でねると腹がいたくなつた たまらないので寝てくらす 晩めしも食へず 中と佐とめしをこしらへて食ひ夜を話をした オレはねて居 十時頃にM.B. 来 十二時頃までかたる

1901(明治34) 年1月30日

 一月三十日 水 (欧洲出張日記) 朝 Camille 来 久保田君も来 久 佐と門前でめし 今日もやつぱり腹痛也 午後 Augst, Camille も残つて居た 佐 久は  Bruce 方へ行く 今夜もめし食へず 夜 中も来て久 佐 中と四人でドミノをやる

1901(明治34) 年1月31日

 一月三十一日 木 (欧洲出張日記) 朝 Camille 来 昼めしハ内に取り寄せてモデルと佐と三人で食ふ 午後ハ気分悪くて仕事ハ殆んど出来ず 佐野ハ Augt. をモデルとして仕事を始めた 夜食ハ久と北村と四人でやる 鶏の汁をこしらへてオレハ少しやる 夜十二時過までかたる

1901(明治34) 年2月1日

 二月一日 金 (欧洲出張日記) 朝 Camille 昼めしは佐と門前でやる 腹具合よろしからず ソツプに玉子位でごまかす 二時 Augt. 来 佐野仕事をしオレハモデル気分悪く寝て居る 夜佐と昨夜の残の汁をやる 小林 久保田来 オレは寝て居る 十一時過医者ゴツク来

1901(明治34) 年2月2日

 二月二日 土 (欧洲出張日記) 大分気分はいゝが医者の命ニよつてねて居る 朝中丸に頼で薬を買つて貰つた Camille は朝から来て居たが仕事が出来ない為ニ看病をしてくれた 佐野ハ午後 Augt. 相手で仕事す 来訪者は午後 Beneget 久保田 岡田 和田 中丸 レガメ 夜 Camille モ再来る 一時半ねる

1901(明治34) 年2月3日

 二月三日 日 曇 (欧洲出張日記) 今日は腹具合平常ニ復した様也 門番の娘に頼で茶を入れさしてのむ 十時頃クロノ来 十二時頃ルゴツフ来 午後モデル・チチヌ来 佐野が仕事した 昼めしは門前屋から取りよせて食ふ 晩めしは昨夜の残物で久保田と佐と三人でやる 久は昼過ニ来 夜岡来 中丸が十二時少過に来て薬を取りに行てくれた

1901(明治34) 年2月4日

 二月四日 月 (欧洲出張日記) 病気もいよいよ全快らしい 併し外出せず 終日 Cam. 相手に仕事す 昼めしは内に取りよせてCと佐と三人で食ふ 寺島君が十二時頃に来て日仏協会の話をした 午後久保田君が引越して来た 晩めしハ久 佐としほで魚の料理をやる 中丸 重野 岡田来 ドミノ

1901(明治34) 年2月5日

 二月五日 火 (欧洲出張日記) 朝少し雪ふる Camille 来 佐野は久米の処に行た 伊太利行の相談也 昼めしは内でC 佐 久と食ふ 午後暗くして充分仕事出来ず Couronneau 来 日仏協会一件で公使館へ行く 晩めしハ岡 中 佐 久 今晩 中が醤油を持て来た 夜和田も来

1901(明治34) 年2月6日

 二月六日 水 (欧洲出張日記) 今日は霰などが降て中々寒い天気であつたが終日外へ出ず 内に居て朝からモデル相手で仕事す 午後樋口君が見舞に来て呉れた 岡も来た 昼めしは内で佐 久 Cと三人でやる 晩めしは久 佐 岡と四人でやる 夜 中 小林来 皆去 十二時半頃久米来 旅の事を話 久米ハ一時間程話して行た

1901(明治34) 年2月7日

 二月七日 木 (欧洲出張日記) 今朝八時に佐が立つた 九時の東停車場の汽車で久米と伊国へ向ふ 終日C相手に仕事す 午前菅氏来 夕方岡田が写真の道具をかつて来てくれた 昼飯はアトリエで久 菅 Cとやる 晩めしハ岡 久 菅と日本めし 後中が来 久ハ或人が来て外出 中ハ写真をやり岡と菅は去る 又MB来 後久と二時頃まで話す 三時頃ねむる

1901(明治34) 年2月8日

 二月八日 金 (欧洲出張日記) 終日モデルで画をかく 午後重野来 夕方岡田来 重 岡 久等と日本飯 食後中 小林来 中ハ早く去る 皆帰つて後久と二時頃まで話 今夜藤島 長原 中村 磯野等よりの年頭の手紙着 昼めしは一人でポツネンとアトリエでやる

1901(明治34) 年2月9日

 二月九日 土 (欧洲出張日記) 今日も終日モデル相手にやる 昼めしは久 Cと三人でアトリエで食ふ 午後早目に仕事をやめてコラン氏を訪ひ画の評を聴く 晩めしは中 久と例の如く日本めし 小林がテンプラをこしらへて持て来て一緒にめしを食ふ 久ハ終日かゝつて写真をこしらへてくれた 夜食後小林の義太夫 中丸の狂言歌などが出た 小林も中も一時半過まで居た

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