1892(明治25) 年12月8日
十二月八日 木
朝曾我が送て呉れタ職業学校の規則書が届く 上天気だがオレの気分は何ニとなく不平極る 十一時頃ニ村ヲ飛ヒ出シ乾山(モンチ)村ニ行キ御中食 それから兼て聞て居た瀬戸物製造所ヲ見物シ記念の為鉢ヲニつ十仏で買ヒそれヲ両手ニ下ゲて帰村 鞠の内へ一寸立寄る 奴ハ巴里ニ出て留守番ニ霜菜が来て居た 少し話し鉢ヲ一つ呉れてやる 夫レカラ宿屋ニ行き台所でカナダ国のコルタ等と水ヲ飲みながら話す 晩夜食後美陽家ニ一寸いと行 鞠帰て居た 夜食ニハパンガ無かつたので買ニ行た 和郎が夜話ニ来て村の飯盛ニやる色文ヲ書く オレハ日本へ出す端書ト久米等への手紙ヲ書く