1892(明治25) 年10月17日
十月十七日 月
昼めしハ曾我氏宿秋風楼(吸風呂屋と今迄書た)でやらかしそれから森江婆 逆壺 毛利等ニ逢ニ行く 毛利家ニ行た時ハ三時だつた 色々日本字の翻訳ナド持ち出し上つてとうとう今夜田舎へ帰て行事ハ出来なく為る 昼後の一時から雇て居る車代など四時半頃ニすつかり手代に申付ケテ払ハして仕舞ヒ上つて夕めしニ引とめた 五時頃迄仕事してそれから一緒ニ大通りを散歩しホテル・デ・ハントと云せり売の市場ニ連れて行て見せて呉れた 又豆茶屋ニ立寄る 奴の友達と云おぢいが独り来て居て一緒ニ飲む 其おぢいを奴の内のめしニ引張て行ふとしたけれどとうとう門に迄行ておぢいにげて仕舞ふ 夜食後フオリベルジエールに案内した なかなかナお取持ちさ フオリベルジエールで鶴田君ニ出逢ふ 今夜はホテルペレニ一泊 我が宿の無い身と為た 不自由ナもんだわい