1892(明治25) 年8月23日


 八月二十三日 火
 今日がお祭りの仕舞の日だ おひる前ニジヨルジユが話しニ来る 昼めし後奴と一緒ニ宿屋に遊ビニ行く 舟こぎをする為ニ行たのだが舟のろを付くる処がこわれて居ルので舟遊ハだめ 併シオレは独りでしばらくの間一本のろで舟をあつちこつちニやつて時ヲつぶした 後奴が麦酒ヲおごつた それから市ニ行テ室内射的ヲ試ム 四時頃から絵かき部屋ニ入りくらく為る迄仕事ス 夜食ニハ羊ヲ日本流ニ煮て日曜ニ曾我と食ためしののこりを食ふ ジヨルジユニ約束して置たから又九時頃から縁日ニ出懸く 鞠屋などニ出逢ふ 射的ナドやつてからジヨルジユと宿屋ニ行き飲む 十時頃ニ別れて帰る 今朝の便で久米公からの書留ヲ受取ル 奴の為換が着たので銀行ニ金取りニ行て呉れとの事也 其他入用品の注文也 直ニ絵具屋シヤルボの処に端書で注文ニ及ブ 久米公ニオレハいよいよ島ニ行気だと云事ヲ云てやる 又長田の小僧ニ此頃ハどうして居るか此処でハ祭が有つて困ると云てやる いづれも端書也 小僧ニやつた端書ハ昨夜書た 今年の此処の祭ハ前ニも記した通り例年より余程ニぎやかだつたが其わりニハ気分が悪くならなかつた いやなものを見ても平気で決シテ自分の気分ニハ差支へが無いと云様に立派ニ悟を開ケバ此の上も無い結構ナ事だがオレが今度のお祭でそんなニ気分ヲ悪くしなかつたと云ものハ去年よりオレの考が大きく為たものとハ思はれない 決してそう云訳ぢやあるめへ 実の源因と云ものハ第一ニ伊賀棒の如き動物が目の前ニぶら付かないのと第二ニ友達の奴等が来て遊で居たのと第三ニ人と云ものハ只ちんこまんこ丈の力で為り立て居るものゝ様ナ感じを起サしむる田舍の踏舞ヲ見ナかつたなどならんか
 あのをどりならバ三度のめしも食ハずといゝと云位ニ見えて居た鞠屋がをどりを見て居ると随分馬鹿ゲテ居るなどゝ云様ニ為たと云ものハ病気で体力がおとろへて居るのが元となつて居ルニ違ヒないがオレの兼ての踏舞好ニ付ての悪口も幾分か力をそへたるものゝ如し 今夜宿屋ニ酒のみニ行た時松方氏よりの二十日付の手紙ヲ受取る 送た写真ヲ受取たりと云知らせ也