1891(明治24) 年6月22日


 六月二十二日 月曜 (独仏国境旅行日記)
 此のゼラルメの宿屋ハ立派なわりニ金が安い そうして中々深切ニして呉れるわい けれど永居ハ出来ぬ 八時半頃とうとう立つ 今日ハ昨日ニ引替へ天気がよくあついあつい ラ・ブレスを通つてコルニモンニ一時頃着きひるめしを食ふ 此のめし屋ニて古きクロモ板の額一面二仏ニて買入る 紀念の為也 鉄道局が此地に在るを幸ひ直ニ其額を巴里へ送た 三時頃コルニモンを立て段々と国境の方へ行く 四時半頃バントロンニ着き酒屋ニ立寄りリモナード水を飲む 今日の暑さハ非常也 此のバントロンが仏国の一番端の村也 之レより国境を越へてアルザスニ入りクリユツトと云小さな村ニ着た時ハ七時半頃ニなつた 憲兵ニも出逢ず面倒も聞かず首尾よく宿屋ニ入りたるハ何よりの仕合也 今夜の宿屋ハほんのきちん宿だが部屋ニ耶蘇の像の額だの又木細工の耶蘇の張付けなど飾つて有るのを以て見ると此の辺でハ隨分まだ耶蘇教がはやつて居ると見へるわい 一寸古風で面白し いやな俗物も死ぬと仏と成りつまらぬ茶わん皿も古物となれば珍重さるゝが如し