1891(明治24) 年6月13日


 六月十三日 土曜 (独仏国境旅行日記)
 朝四時ニたゝき起され仕度をして五時少し前ニ立つ 上天気なれど朝風寒し 静ニ歩て八時半頃ニトリギニ着す 郵便局有り 巴里の河北ニ久米公と連名の端書を出す 一寸休息 牛の乳など飲む ミシユリから此処迄の里数三里余 此処より気車の有るアルシユベツク迄四里程有り 気車の出るのハ十一時十三分だ 此の気車ニ乗りをくるれバ夕方迄待つか又終日歩くかどつちかだ どうしても此の気車ニ乗るが都合よしと云もんで九時少し過にトリギを立て一生懸命ニ歩き出した 何ニしろ二時間ニ四里の道をやらなけれバならずしかも日中だからたまらない 鳴呼苦しかつたあつかつた こんなニあつい思ひをした事ハ少ないぞ ダガとうとう十一時ニ行着た 体ハ丸で煮た様ニ成て仕舞た それから気車で十二時半ニトロワニ着た
 此処ハ一寸名高い処で一通り大きなまちだ 先づ珈琲屋ニ立寄り麦酒をのむ 新聞屋の種取りが来て之レから何処に行くのだ 歩いて行くのか楽みニするのかなどゝ面倒な事を色々聞た みんないゝかげんにごまかして置た 又ボウジユ県の内ニハこう云ふ人の知らない名所が有るから是非行て見ろなんかんで深切らしく教て呉れたりした 変な男だ 後宿屋を見付け先づめしを食ひそれからだれやめニ一寸昼寝をやらかす 後ゆつくりと町を見物す 木造の古き家多く奇也 職人体の一物有りそうな変な面付きの少女を沢山見受た 拙者等が此処ニ着て脚半を付け包を負たまゝで宿屋をさがし乍ら町市をあちこちぶら付た時ニハ見た事見た事 併し人気ハ静也 悪口は聞かず 道など聞くと深切ニ教て呉るゝ也 夜食後も散歩した 巴里から出てもうこゝ迄来て見ると田舍風が吹て居るわい 奇体な者だ