1901(明治34) 年2月28日


 二月二十八日 木 晴 オルヴヰエト (欧洲出張日記)
 今日も天気がいゝ 羅馬は今日限りだから公使館に暇乞に行て来て其帰りがけにミユゼ・コロナへ這入つた コロナ館は小さい所ではあるがいゝものもあるし又座敷はなかなか美くしい 這入つて直右手にあのミケランジユがほれてをつたと云ふ評判のウヰツトリア・コロナの肖像が有る 一番奥の座敷に最も古い画が陳列してある 其内でボチチエリのマドナの図 ルイニの耶蘇の家族の図 ジヤン・マビーズのリユクレス・ロメーヌの図等が面白い チシヤンの筆でオノフリオ・パンヴヰニオといふ坊主の肖像は其一つ手前の室にあるが上手なもんだ 中の大きな部屋にニコラ・プーツサンのベルジエ共が木蔭にねて居る図が有るが立派なコンポジシヨンで気持のいゝ絵だ
 二時半の気車で羅馬を立つた 先日は羅馬の近在には雪が一杯積で居たが今日はもう少しもない あつちこつちに羊の群など見へる 此の辺は大抵牧場らしい 此の辺で一番多い木は高く真直く立つ木で葉は柳のやうで柳よりは一層大きな裏の白ろ白ろとした葉の木だ 羅馬やナアプルなどには落葉樹が少ないから公園地などに行て見ると冬のやうでハない
 気車の中では久米公が天下の大勢を論じて伊太利亜は亡国であると云つて中々いゝ景気であつた 昼めしの葡萄酒大ニ与つて力ありだ 佐公は窓の外を覗込んでしきりに何か歌を歌つて居る オレは横の面に日がさしてあつたかくていゝ気持でとうとう眠て仕舞つた
 キウシといふ処で気車をのりかへた ラポラノなどといふ辺はいゝ景色だ 四時五十分頃オルヴヰエトに着いてヴヰア・ガリバルヂのホテル・トルヂといふのに宿を取る
 オルヴヰエトといふ処は岩崖の上に一郭を為して居る処で中世時代にハ中々に要害の地で有つて羅馬法王も度度此処に立て籠た事があつたそうだ つまり山上に築いた城だ ステーシヨン前から町迄フヰニキヨレールが有つて一直線に上る それから宿屋の馬車に乗つて行く 此処に来て客を待つて居たホテル・トルヂの馬車は面白い ナポレオン時代とでも云ふ可き極古ぼけたランドウで中に這入るとプーントかび臭い こう云お馬車に三人召されて御本陣へお乗込と云ふ次第さ
 此の町ハ人口八千人許だと云ふ事で極ひつそりして居る 宿屋の亭主は髯も何ニも無い男でペロツとした奴だが仏語も分つて便利だ 食堂のボーイも一人でやつて居る 着いて直に町に見物に出て帰つて来て夜食を食た 隣のテーブルで米国人の六人連の女子達が食つて居る丈で其他にハ客は無い
 今日などハ羅馬でハあんなに暖であつたが此処に来て見ると路傍に雪が積んで居て寒い 今日の吾々の部屋は客間の隣で其客間に亭主が火をたいて呉れたからねる時まで其処で話をした