本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年2月27日

 二月二十七日 水 晴 (欧洲出張日記) 毎日の晴天で仕合だ 今日は朝ミユゼ・ド・ヴアチカンを見 午後はミユゼ・ド・カピトル サンタ・マリヤ・マツヂヨレ寺及びヴヰラ・メヂシスを見る 此の前にヴアチカンでロージユ・ド・ラフアエルという方を見残したからそれと法王ニコラ五世の室といふのを見る積で行たが今日も閉て居る 見る事叶ハず 残念千万だ 併し其お蔭で再びゆつくりシヤプル・ド・ラフアエルの壁画を見る事が出来た ミユゼ・ド・ヴアチカンと称する彫刻品の陳列してある所はサン・ピエル寺を一と廻りして後の高い所に入口が有る 此処にハ有名なものが沢山有る事ハ云ハずと知れた事也 ミユゼ・ド・カピトルではウエニス・ド・カピトルが一番ほしい品だ 其後の寺のサンタ・マリア・イン・アラリは先達て一度見たが其時ピンチユリキオの画を見なかつたから今日わざわざ再び這入つたのだ サン・ピエトロ・イン・ウヰコリにはミケランジユ作の有名なモイズの大きな石像が有る サンタ・マリヤ・マツジヨーレ寺はサンタ・マリヤの為に建てた寺の内でハ一番大きい寺だ 此の寺はリベリユス一世と云ふ法王の時即ち三百五十二年に始めて出来たのだ 尤も其後段々改築して今日の姿に為つたのだ サンタ・マリがリベリユス一世の夢枕に立つて雪の有る処に寺を建立せよと云ふ事であつたそうだ 其時が丁度八月の五日であつたが不思議に此処に雪が積で居たので此の寺を建立したのだと云ふ昔話が残つて居る 堂内の両側に三十六本の大理石の柱が並んで居る様すばらしいものだ 極古いモザイツクの装飾もあるが図様などは高くしてよく分らず 柱の上に一列に金地に紺青の唐草の模様は格天井の具合などゝうつりが能くて立派だ 此の寺を出てからウヰラ・メヂシスへ行た 此のウヰラ・メヂシスは仏蘭西の所有で仏国の美術学校の留学生の寄留舍に為つて居る ピンチヨ公園の隣で高台で実にいゝ処だ 甘い処をせしめたものだ しばらく庭をぶらぶらした 夜食後八時半頃から町へ散歩に出た 西班牙の辻と云辺まで行て来た 此の羅馬市でハどんな処でも大層早く見世をしめる もう八時半か九時頃にハ開けて居るところは少ない 淋みしいものだ しかし大通丈にはぶら付て居る人はいくらか有るがこれとても僅かだ

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