1904(明治37) 年11月19日

今朝一ツ橋授業後松崎校長に面会して改革云々の話をする。又手当金交付の時期を尋ねたが年末であるというので安心した。思へば此頃のやうに金にがつがつした事は今までにないのである。午後目黒に参る。父上は在宅、石井八万より送つて来た地形図につき色々支那開拓談が出で糸川の上海開発談などやる。又醋酸は好況の由にて今や唯一の待望は此会社の運命に依つて繋がれたる有様である。よねに中野祝ひの品買入のため二円渡した。三時過に目黒から出て札の辻に中丸精十を訪ふた。是は此間から小泉に頼まれて居る自転車売買の一件で、昨日小泉が態々人力で中丸との相談が出来たというやうな事であつたから其後の様子を聞くためであつたが中々とうも甘く運ばない。差当り是非共入用であるのは僅か百円の金の出来難いのは実に意想外である。夫れがために夜食後は小父さんを尋ねよふとして居る処に小泉来り共に三河台に出掛けた。其結果今一度小代が中丸の処へ談判に向ふ事となる。後両人我家に来る。

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