1904(明治37) 年11月12日

今朝は女共は三時半から起きて片附けにかゝつた。目黒から金次郎と大工が六時過になりやつて来る。夫から規則の明文通りに建具を取外し、畳を外に出す。引越しよりも騒動ははげしい。八時より一橋に赴き十一時に帰れば最早検査は済んだ処で天井板の掃除をやつて居る。昼飯は外に畳をひいて食した。一寸焼出されのやうな風情である。近所の様子ではこんな騒きをせずにもよかつたのであるが、併しとこからとこまで掃除をして清々したには違ひない。昼後になつて漸く畳を入れたという時に、静岡の徳田の妻君がやつて来た。おこまのごみをかぶつた姿には驚いたろう。風呂をわかしたが火がおこり損なつていつまでも暖まらず大難儀。夫から夕食がとうやらこうやら出来た。七時過からこまは徳田氏と新橋辺に同道した。此夜我家に宿泊した。

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