1904(明治37) 年11月23日

今日は新嘗祭にて休暇。午後こまは彬を連れて愛宕山に散歩に出掛けた。二時過に小代来りとこかに出ないかといつた。昨夜の不眠で気分がわるい時であるから早速賛成、支度して門口に出たら丁度竹沢が来り三人で佐野の処へ行つて暫く話をする。別に面白い考も出ないで遂に今福で晩食という事にきまつた。若し是れが遠乗りの妙案でも出てどこまでかいつたならば災難を免れたか或はもつとひどい事になつたか分らない。兎に角人間の運命は全く不測なものでC‘etait écrit主義は決してけなしたものではない。それでいつも今福では遅くいつてひどい所に押込まれるからというので今日は明るい内に出掛けていつた。案の如く下坐敷が明いて居て珍らしく奥の右側の隅の部屋にはいる。小父さんは機械屋へ廻つて少し後れて来た。今日の肉は中々上等充分甘く喰つたが酒は何となく変な味がする様であつたが、竹沢におつき合で初の内に五六杯続けて引かけ三人の口で三本の徳利を並べた。是は例もよりか一本はたしかに多かつたに違ひない。六時過に仕舞つていざ勘定という段になつて何となく酔心地が悪いやうな気がして例の病気が発してはならないと思ひ用意のために便所に立つて見た。小便をやつている内に最う溜らない。吐いて仕舞かと思つたが我慢をして便所を出たまでは覚へて居るが其後の瞬間の事は分らない。なんでも椽側を歩いて来て曲り角でブツ倒れたのである。下女は倒れたのを見て驚いて連中に報告する。手拭を濡して頭を冷す。なんでもコツプの水を飲めというので始めて気がついたのだ。此間恐らく一分間位は経過したに相違ない。気がついて見ると小父さんはハンケチをぬらして頭の傷口を抑へて居る。オヤどうして怪我をしたのか不思議でならない。手でさわつて見ると、後頭の真中が大分へこんで居て血がついて来る。傷口はウェルチカルであるが別段庭に落ちたらしくもない。全く椽側に倒れて角にぶつゝかつた丈である。殆んど迷信家の材料になりそうな怪我の仕方である。マダ気分が本統でないから部屋に入つて横になり頭を冷して貰つた。竹沢は時計を出して脉搏を数へて居る。凡そ三十分近く休んでもう大丈夫になつたので人力を雇ひ、自転車は連中に頼んで置いて車に乗り、森元の伊東の処にかけつけた。不在であつたが代脈が居て傷口を洗ひ療治をしてくれた。存外傷は大きいといつて一ト針縫ふという次第。医者の手に掛るやうな怪我は一生に始めての事であるが、思へは妙な具合で怪我をしたもんである。遂に繃帯を頭の囲りに巻きつけて赤十字のお仲間入りとなり帰宅した。連中は先きに来て待つて居る。直様床を取らして病人になつてしまつた。

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