1904(明治37) 年11月13日

徳田の妻君は朝食後間もなく辞し去る。こまは昨夜の食物不消化で病気発熱診察にいつた。過激の運動で不消化を起したのかも知れぬ。午後黒田を尋ね後上野に赴き中村と学校買上品の撰定をなす。会場には三時頃大に人出があつた。四時過に帰宅す。今日は畳屋に六畳間の畳替へをなさしめ大工は棚を釣りに来た。こまは四畳半に臥して居る。

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