1904(明治37) 年11月7日

今朝は一度目を覚して菊地と暫らく話をしたが佐野と小父さんが応じないから又一ト休みして八時過縁側に日が当つて来たとき一同と共に起き出てた。昨日とは違つて申分のない天気、朝飯は玉子焼にあんかけ豆腐で一寸喰へる。勘定を見ると泊り五十銭で昨日と同様茶代をおごる。又来てもいゝ家だと思つた。昨日から給仕をやつて居るのは宿の娘で此土地の事色々話を聞いた。支度をして立出てたのは丁度十時で八王子へは二里あるというので十二時には着く勘定でツイツイ歩く。景色は浅川を眺めた処丈は実に見事であるが跡は桑畑のみでつまらない。併し今日のやうな秋晴で新鮮な空気を呼吸して行くのだから溜らない、好い気持になる。連中が連中だから馬鹿話しは大してはづまない。唯時々小代菊地の衝突が起る位なもんだ。足並みが揃つて進行した故が存外早くはかどり十一時には既に八王子の町にはいつてしまつた。追分の足袋屋で土産の紺足袋を買ふ。夫から八王子の大通りで大火後大分様子が変つたやうである。十年前にあつたボルデルは裏通りに放逐されたと見へて一軒もなく、大店や銀行が此大通りを占めて居る。今日は大掃除をやつて往来に道具を持ち出し、ひやかすには都合がわるい。朝食が遅いので腹はいゝし昼は蕎麦でこまかすという事になり停車場附近のある蕎麦屋に入る。玉子とじにかしわ南蛮で中々お安く揚る。さすが都会の地丈ある。それから直く停車場にかけつけて十二時四十分の汽車に乗込む。車中は来る時と違つて乗客少なく楽に一ト息き寝る事が出来た。何も変つた事もなく、佐野丈は新宿で分れ残りは暫らく待つて信濃町まで行く。茲に着いたのは三時頃でもあつたか是から小父さんと人力を価をつけて無事に帰宅す。家に帰れば顔を見知らない下女が出て来て門口をあけた。聞けば先のは留守中に暇を乞ふたという事余り惜しい方でもない。今度のは越後のもんだそうだ。

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