本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1890(明治23) 年6月6日

 六月六日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康の筈奉大賀候 次ニ私事至極大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 去る二十八日ヨリ三十一日迄一寸巴里へ帰り居り絵画共進会等見物仕候 当年ハ共進会と申可き者二つ有之候 之レハ昨年の大博覧会の時より当地の美術家中ニ党派出来候て新党の方ハ毎年有之候共進会にハ出品不仕大博覧会の時の美術館跡ニ別ニ共進会を開き申候 此の方にてハ何等々々と申賞などハ一切与へぬ事ニ御座候 画の風も自ら旧の共進会へ出品有之者とハ異なり居候 新の方ハ先ツ一寸申候ハヾ今時風の画とでも名く可き者か只奇を好だる者多く正直な画少なき様ニ御座候 併し旧の共進会ニ比すれバ出来ハ一般ニよろしきと専ラ評判致し候 私の教師などハ矢張旧の方ニ出品致し候 巴里へ帰り居申候時教師の別荘へ食事ニ招かれ候 其時又々日本の草花注文致し候 之レハ此の前の時の如く都合よき時ニ金ハ返す考なりとハ存候得共先ヅ差当り御尊公様へ御立替を願ふ事ニ御座候 左様御承知奉願上候 其注文の花ハ第一ニ 菊 之レハ横浜の植木屋より種類沢山持ち合候故注文致し呉るゝ様申来居候 菖蒲 色々 右の者菊も菖蒲も幾種類にてもよろしく候間当地ニ着候て植付ケニ都合よろしき時分を御見合せ御送り出し奉願上候 植木屋の方でももとより其辺の処よく存居候事と奉存候 右の外此の前ニ御送り被下候牡丹の中ニ漏れ候者と又着候後枯れ候者とを御送り被下度奉願上候 此の方ハ花の番号皆能く知れ居候間別紙ニ記し申候 今度田舍ニ来リ候後本式ニ額一枚描始メ申候 郷の花と云様な積にて百姓の娘がひざのうへニ草花をのせながら木ニよりかゝり居る体の図ニ御座候 大さハ通常の人の大さ位ニ御座候間可成り大きな者ニ御座候〔図〕 之レハ念を入れて仕上る考ニ御座候 之レこそハ仕上げ度しと思ふ程のものを何ニかかきかけ候時ハ気分自ラ愉快ニ御座候 此の田舍ニて愉快なる事ハ蛙の声を聞くにて御座候 月夜などニ田舍道を散歩する時ハ中々よき心地致し候 先般久米氏ノ世話にて上商会社の便より御送り申上候稽古がき相届候由安心仕候 あれハ皆稽古がきのみにて且昨年迄の者ニ御座候間出来もよろしからず候 当年の者ハ今少しハ見るに足るかと奉存候 当年の者ニハ念を入れ候て仕上候者も有之候間之れ等ハ若し御送り申上候時にハ通運ニ頼まずハ相成間敷と奉存候 先ヅ力の及ぶ丈ハ憤発仕沢山かき溜め置其中より上出来の者を来年の共進会へ持ち出し度考ニ御座候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年6月13日

 六月十三日附 グレー発信 父宛 葉書 (前略)私事大元気にて未だニ田舍ニ滞在致居勉強仕候間御休神被下度候 此の四五日ハ雨天にて外にて勉強出来兼候間内にての趣向一つ即ち(読書図)をかき始め申候 愉快此事ニ御座候 之レも一寸大きな者故全く出来上る迄ハ一月位ハ少なくもかゝり可申と奉存候 手本も一週間の内四日位朝三時間午後四時間半か五時間位づゝ雇ひ勉強仕候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

1890(明治23) 年6月19日

 六月十九日附 グレー発信 母宛 封書 いつもおかわりなくおげんきさまのはづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしこともいつもいつもげんきでべんきよういたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このごろハもうほんのなつニなりましたようですけれどもこちらハそんなにあついことハございませんよ わたしハこゝのいなかでこのなつハくらすつもりでございますよ せつかくおゝきなゑを二つほどかきかけてをりますからぜひこれだけハかきとろうとおもひますよ そのかきかけてをりますゑといふのハひとつハこないだ父上様にあげますてがみのなかニかきておきましたのです もうひとつのハうちのなかでおんながほんをよんでをるところです これハうちのなかのゑですからあめがふつてもかくことができます てほんをやとうぜにもぱりすとするとよほどおやすうございますからしやわせでございます このごろハあさの九じから十二じまでとおひるごハ二じはんから七じはんまでてほんをやとつてべんきようをいたしますよ なかなかおもしろいことでございます いまかきかけてをりますこの二まいのゑをかきとつたならぱりすへかへつていつてかきかけてをきましたゑにまたとりかゝろうとおもつてをります そちらでハまたおとうぢにでもいらつしやるだろうとぞんじますよ わたしはことしはたびなんどハおやめです まづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太  せつかくおからだをたいせつになさいまし

1890(明治23) 年6月26日

 六月二十六日附 グレー発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて田舍ニ於て勉強罷在候間御休神被下度奉願上候 先日よりかき掛居申候二枚の額も次第ニ進み申候 尚二十日か一月も致シ候ハヾ全く出来上り可申奉存候 金ハ来月中ハとても覚束なき程遣ひ込み申候 左様御承知奉願上候 来年の共進会へ持ち出し受ケ取られ候都合ニ相成候ハヾ心地よき事と存折角骨を折り罷在候 御地ニてハ当年博覧会有之候て余程盛なる事の由承り候 油絵の出品等も自ら有之候事を奉存候 御覧被遊候哉 上手も出来候半と奉遠察候 久米 河北の両氏本日巴里へ帰り行候間田舍ニ日本人私独りと相成淋しき事ニ御座候 已ニ申上候通リ当地ハ英米及ビスエーデン等の異人多く来り居候て甚ダ心地悪く候 併し今迄ハ私共中間三人ニて有之候故日本村の勢盛ニ候処今日より独立の愉快を失ひ閉口の至ニ候 近頃ハ仏語ハ余リ耳ニ立ち不申候得共英語などを聞申候時ハ何となく夷人臭き様心地致し候 又実際の処ハ仏人ハ夷人中日々生活上ノ風習より事物ニ付て興す感等最も日本人ニ似たる者の様ニ御座候 米人ハ日本にてハ余程評判よろしき様ニ候得共当地にて見る時ハ先づ一般ニ俗物なるが如く被思申候 先日中ハ殆ンド毎日雨のみにて景色の稽古などニハ都合悪しく候処此の二三日ハ又上天気と相成今日などの暑さハ殆ンド日本の暑さの様ニ有之候 此天気今の儘にてハ兎ても続き申間敷と存候 昨夜ハ友人河北氏及び旅店の亭主夫婦其他村の者都合八人にてやど屋の馬車にて隣村の祭見物ニ夜十時頃より出掛ケ申候て朝方三時過ニ帰村致し候 祭ハいづこも同しくさわぎ方の強き者に御座候 田舍道を夜の明る頃朝風ニ吹かれて行く心地ハ一層ニ御座候 早々 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

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