本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1890(明治23) 年7月12日

 七月十二日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)せんじつくぼのぼんちゆうがどいつと申くにからちよつとあすびニきてをりましたからわたくしもいなかからでゝいきましてあいました このゑさんといふおかたとくぼとニにつぽんめしのごちそうをいたしました(中略) わたしはこのなつはこゝのいなかでくらそうとおもつてをります それについてハやどやにしじゆうをるのハなんだかおもしろくございませんからどこかひやくしようのうちをかりてそこにねとまりをしようとぞんじます さいわいわたしがやとつておりますてほんになるおんなのあねのうちがあいてをるとのことにてそれをみにいきましたらちいさなうちにてわたしがねとまりをしてをるだけにハもつてこいといふうちですからそれをかりようとぞんじます まづはいりくちニどまがございましてそれからだいとこがついてをります そのだいどころのすミニはしごがかゝつてをりまして二かいニのぼりますとそこがねべやでございます たつたそれだけのうちですからごくちんまりといたしてをります(中略) わたしがたのんでてほんにしてをるおんなといふのはとしはまだ十九か二十ぐらいだそうですがせいのたかいことまことにふしぎにてほんとうののつぽでございます わたしはようやくそのおんなのかたのたかさぐらいきりやございませんよ このせいようじんのなかでもちよつとめニたちますからにつぽんニでもいつたらそれこそみせものにでもなるだろうとぞんじますよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

1890(明治23) 年7月18日

 七月十八日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハこのごろハやつぱりいなかニをりましてゑをかいてをります このごろかきかけてをりますゑハせんじつ申てあげましたおんながへやのなかでほんをよんでをるゑです これはあめのふるときかまたひがあたつてあつくてそとでゑをかくことのできないときニかくつもりでかきはじめましたところこないだぢゆうハあめばかりにてまいにちまいにちそのゑばかりかきましたけれどもあまどをしめてうすぐらいところでかくもんですからなかなかはかどらずまたなかなかできあがりませんよ まだすくなくも二十日や一月ぐらいはかゝるだろうとぞんじますよ おかねばつかりかゝつてまことにこまりますがこのごろハこないだついたかわせのおかねがございますからあんしんしてべんきようをいたしてをりますよ この十四日のひハこのふらんすのおまつりにてにつぽんでゆハヾてんちようせつとでもゆうようなおまつりですからぱりすなどにてハよるもひるもおゝさわぎをいたします(中略) ちようど十二日のひニくめさんがまいりましてそれから十三日の日ニくめさんと一しよにこゝから八りか九りばかりあるふろりと申ところニをりますともだちのあめりかじんにてぐりひんと申やつのところにあすびニいきました そのぐりひんというやつはさくねんの五月か六月ごろニ一しよニいなかニいつていたやつにてまことニかまわないよいやつです(中略) それからのりあいばしやニのりましてむらんといふところまでまいりました こゝからきしやニのりましてほんてぬぶろうと申ところニつきました(中略) それからうちにかへつてからがたいへんでした そのやどやニへやが一つきりハあいてるのハなくそれですからくめこうと一しよにねました(中略) そうしてわたしハくめさんとそのほんてぬぶろうにあるむかしのいじんのてんしさまのおすまいニなつたと申おみやをけんぶついたしました ずいぶんりつぱなものでございます けれどもこのごろはきれいなものをみつけたのかなんだかしれませんがどんなきんぎんざいくのものをみてもちつともかんしんいたしませんよ かへつてきんぎんのたくさんついているものハいやです わたしハとうとうひやくしようのうちをかりまして一さくばんからこゝにねとまりをいたしてをりましてやどやにハたゞめしくいばかりニいきます よほどこのほうがきらくでございます まづこんどハこのかげんでやめませう めでたくかしこ  母上様  新太  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

1890(明治23) 年7月24日

 七月二十四日附 グレー発信 父宛 葉書 御全家御揃益御安康奉大賀候 次ニ私事大元気にて田舍にて勉学罷在候間御休神可被下候 当地当年ハ誠ニ雨勝にてそとにて景色画の稽古するなどニハ甚だ不宜敷候 此の頃は先づ天気よき方ニ御座候得共天気と申程の事ハ無御座候 先日よりかきかけ居候画二つ共未ダ出来上り不申候 来月ハ此の田舍ニ祭リ有之由ニ御座候 うるさき事故祭の前後十五日位ハ巴里へ帰り居覚悟ニ御座候 巴里ニもかきかけ置候額一枚有之候間又々それニ取り掛り可申候 而て巴里へ出候序ニ博物館なる古画にても写し方可致やと存居候 当年ハ和蘭陀へ遊びニ行事などハ出来不申候 同国公使島村氏ハ英国へ国替へ相成候 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候

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