1892(明治25) 年10月6日


 十月六日
 毛利の明屋敷ニ泊りニ行く事ハ其後取止メニ為て仕舞タが鞠と相談して奴と一緒ニめしヲ食ふ事とした 今朝がはじめで朝八時半頃ニ出懸て行 今日も矢張雨だ ちんまりとした座敷ニ火など焼き込で待て居た 其処で二人で西洋汁粉を飲むと云しやれ中々以て面白し 食て仕舞てから書物など読ながら火ニあたつて股引を干してやつた アヽもう丸で冬だ 九時半頃ニ鞠屋もやつて来る 雨の止だ間をうかゞつてちよいと庭で描く 三人で昼めしを食た 二時半頃から画部屋ニ行て夕方迄居た 今夜ハ鞠が鞠屋の処ニめし食ニ行と云ので内へ帰て食た メシハ鞠屋がちやアーんとこしらへて置て呉れたから仕合也 後一寸鞠屋の内へ夜話ニ行く 之レから終始鞠と一緒ニめしヲ食ふと云策はあした限でお止メと云事ニ為た それと云のハ奴等の母が生レ付ての小言好でオレが鞠の処ニめし食ヒニ行くと云のを種として鞠屋なんかニ当る事必せりと云のヲ怖れて也と云話だ 実ハ会計上内で独で食方が余程徳だけれど鞠と云奴中々いゝ奴で此頃ハ主人なしで明家の番をしてぶらつとして居るから奴ニオレのめしヲこしらへさして其代りニ奴の食分迄一緒ニ払つてやつたら奴ニ取てハ只で食て行の道理で余程徳又オレは奴の居る屋敷で勉強するのだから其処でめしヲ食のハ中々便利と云ので奴と一緒ニ食ふ事としたのさ だがだめだ 鞠もしきりに残念がってる様子也き

同日の「久米圭一郎日記」より
昼前ハ金比羅山下ノ石垣ヲ描ニ行ク 昼過ニハ女ノ小僧ヲツカマヘテ描ク十月六日 余リ誉メタ天気ニ非ス