1892(明治25) 年10月2日


 十月二日 日
 朝九時頃ニ画部屋ニ行 額ぶちのつくろひなどやらかす 十時ニ手本ニ頼だ洗濯屋の娘がやつて来た 十二時迄勉強 内へ帰て見るとちやーんとめしが持て来てある 仕合 一時半頃ニ又画部屋ニ行 家主の寿留親爺とストーブのすへつけ方をやらかす 此頃の様ニ寒く為て来てハもう火がほしく為つた 今日ハ又ひる後ハ盛ニ雨が降るわい すとうぶニ木の片ヲたゝき込で少し火をこしらへいゝ加減なはだもちニ為た 其処で長椅子ニぶち倒れ今年の共進会の絵入番付ヲ開て見て居たら古巣〔ブルス〕夫婦がやつて来た 時ニ三時過 先づ奴等ニ武烈坡島で描て来た画など持ち出シテ見せてやる それから古巣の亭主と二人でルクローズの方の森の中ニ茸狩に行ク 此時ハ雨ハ止だ 露だらけの木の下をあつちこつちとくゞつて薄暗ク為る迄ぶら付たもんだから足だのひざだのぬれてつめたし 帽子なんかびしよぬれニなつたが頭ハ平気 帰へり道で夕立を食ヒ傘は持て居たが股引から足へかけてハびつしより 去年のルリユドランからゼラルメニ行た時の事ヲ思ヒ出ス 内へ帰り着た時ニハ全ク夜 六時少し過也 被物を替へて美陽家ニ行く 今夜此処でめしヲ食ふ事と為る 鞠屋巴里から帰て来て巴里で金持の米人の住ヲ見た事や寄ニ行た事の話などす 毛利親爺の内の番ヲして居る鞠屋の姉の鞠も鳥の冷肉など持てめしニやつて来た 毛利夫妻ハ今晩立たとの事 あすの晩から鞠の番して居る明家ニ泊りニ行てやろうと云相談極まる 今日昼に内へ帰つた時八月十七日附の父上様からの御手紙ト巴里の曽我からの手紙が着て居た

同日の「久米圭一郎日記」より
朝七時比ヨリ立出テ仕立屋大臀トポントリュ村見物ニ行ク アルクエストヨリ四里斗アリ 数回夕立アリテ中々難儀ナリ 併シ途中ノ秋景色ハ面白シ ポントリューニテ昼飯ヲ喰ヒ頭ヲ刈ル 帰リハレザルドリューヲ通リ夕七時過島ニ戻ル十月二日