1904(明治37) 年6月13日


 六月十三日 月 午前雨 午後霽
 小西氏来診ナシ 蓋シ母上ノ御容体次第ニ宜シキ故ナラン 午前九時半新橋発汽車ニテ下山遠征ノ途ニ登ル 拙者 篠塚氏 櫻井等ト見送ル 帰途八官町小林ニ立チ寄リニツケル時計購求ノ約ヲ定ム 又本日ヨリ哲ノ兄猛丸代リテ玄関番ニ来ル 十二時乾来リ二人ニテ昼餐ヲ喫ス 午後二時頃父上御入来 引続キ合田ノ妻君来訪 又井田女史来リ其肖像ヲパステルニテ描ク 五時頃安藤来リ晩飯ヲ共ニス 夜食後合田来 三人ニテ暫ラク語ル 合田去リ直チニ寝室ニ入ル 時ニ十時也 本日ハ何トナク労レタリ

同日の「久米圭一郎日記」より
朝九時より竹沢がもつて来てくれたサラード菜を持つて目黒に出掛ける。途中三田にて牛肉と橄欖油を求め、人力で白金までやつた。パパアは御機嫌である。昨夜鬼塚の手紙で九鉄端株買入を勧められた事を話したるに賛成を得た。午後二時の汽車にて品川まで行つて電車に乗り丁酉支店に赴き九鉄株買入の書面を整へ明日再来を約して帰る。途中宗十郎町にて髪をつんで貰ひ、夫れから歩して帰宅す。芝の大通りでは、電車の試運転で人が集つて居た。六月十三日 霖天