1899(明治32) 年12月11日


 十二月十一日(京都出張日記)
 昨夜ハ二階ニ来た客が女など呼び集めて夜の二時頃まで騒いだのニ時々目を覚まされた 九時頃ニ起て見ると霧雨が降て居て向岸の家などがぼんやりして中々いゝ景色だ 東京から来た手紙をよみ新聞をよみめしを食ふ 食後床屋ニ行き髪を切り髯をする 宿へ帰ると女将が昨夜から風呂を取つて置たから這入るならたかさせると云事 其れは至極結構と承諾し間もなく風呂の用意が出来た 被物をぬいだ処ニ黒田天外氏来る 一寸待たして置て湯ニ入る 色々小供の時からの話などして居る内ニ昼ニ為つた めしが出た めしを食て居る処ニ菅善三郎氏来る 又錦光山氏来る 三時半頃ニ客を待たして置て京都新聞社ニ行き村上氏の原稿を一読し不都合な点の訂正を乞ひ帰る 暫時ニして菅氏帰る 又黒田氏も去る 最後ニ錦光山氏去る 此の時ニハもううす暗く為りかゝつて来た 直に堀江君の内へ行く 同君と同道にて縄手の鳥新でめしを食ふ 九時頃ニ二人連で宿に帰り十二時半頃まで話す 床に這入つて日記をかく 今夜ハ十二時前ハ隣の大可楼や宿の二階でいやニ騒いで居たが今ニ為ると静まつて夜廻の金棒の音と河の音計で世間が誠ニ静でいゝ 目がさへてねむられず書物をよむ 二時頃ねむる