1899(明治32) 年12月12日


 十二月十二日 曇天也(京都出張日記)
 朝九時頃起る 中井氏来る 共に堀江君を訪ひ三人連にて博物館を観る 夫れより五条坂の焼物屋を冷かす 六兵衛方にて菓子器の如きものを一個母上へのお土産として求む あこや茶屋にて昼めし 昼めしとハ云へ三時頃に為つた故腹が大分へつた 其代りニめしが至極甘かつた 清水まで行く積であつたけれどもくたびれたゆへ此処より宿屋へ引返す 暫時宿にて休息し又三人連にて出かけ堀江君の新聞社へ一寸立寄り夫れより堀江君方へ出入の寺町の道具屋を観る 仏像一体を購ふ 代金二円五十銭也 堀江君方ニ至り十一時頃まで話しす 京都新聞の英文記者の某氏及村上氏見ゆ 例の如く美術論も出 維新の英雄の評も出 又古代建築物等の話も出た すしの御馳走ニ為る 今夜ハ此のすし丈で晩めしを食ハず 三条通より木屋町へ一寸這入つた処まで中井氏と同道し明日を約して別れたり 宿ニ帰つて女将より大阪のペスト汽車中の人殺し及南京虫が一度此の家ニ出来て難儀した事等の談話を聞く 今夜帰る時ニハ月がよかつたが道ハ中々悪かつた 木屋町ニ寝るのハもう今夜限りと思ふとなんだか少し残り多い様だ しかしもう今度ハ此の位で沢山だ 天外氏の著書を暫時ねながらよみ一時半過ねむる