本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1899(明治32) 年12月13日

 十二月十三日(京都出張日記) 朝九時頃ニ起て十時頃に市長の処に別れニ行く積りで一寸出かけたら堀江君ニ出遇ひ共ニ引返へし堀江君ハ金を五十円持て来て呉れた 之れハオレの旅費が足らなく為つたからの事だ 堀江君と錦光山の処ニ行き十二時頃宿ニ帰り堀江君と二人で昼めしを食ふ 一時半頃ニ出かけて内貴市長の処ニ行き暫時話して別る それより飯田新七氏を訪ふ 之れハ昨日飯田氏より進物が来た体を兼て別ニ行たのだ 番頭の案内で陳列場を一と通り見る 宿に帰つて告別の端書を書きかけて居た処ニ中井氏が来た 同氏ニ荷造を頼で置て二人びきの車で木下 中澤の又氏ニオレの古いクラバツトをやつた 第一東京の内へ電信で明日帰る事を知らしてやつた 別れの端書ハ左の諸氏へ出ス  丹羽 菅 黒田 北本 小山 中井とめしを食ひ始めて居た処ニ堀江君が来 又錦光山氏が一杯機嫌で来た 八時八分の汽車に乗る 送つて来て呉れた人ハ堀江 錦光山 中井の三氏と宿の女将也 汽車ニ乗るのに金が足りなくなつたから又堀江氏が足して間ニ合ふ事となる 上等の汽車で帰る 此の汽車ニ乗り合ハしたる客ニ中西信三郎と云人有り 此の人西陣の情実を委しく知り居る如き人にて話し中々に面白し 十二時頃まで色々話してねる 上等のお蔭で足をのばしてねる事が出来た 翌朝十一時二十三分東京着

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