1899(明治32) 年12月7日


 十二月七日(京都出張日記)
 朝八時頃起る 松尾氏 久米をたづねて来る 又錦光山氏来る 堀江も見ゆ 此の連中と久米を送って七条ステーシヨンニ行く ホテル時代の喜勇に遇ふ 久米十時の汽車にて立つ それより聖護院の木下大学総長を訪ふ 在宅にて面会 十二時頃帰る 一時過より大沢氏の案内にて織物会社に出かけた 一と通り工場を見物して西陣組合事務所に行き事務所員の案内にて川島の工場を一覧す 帰路堀江の家に立寄る 堀江を引張て内へ帰る 三人で食事する処に木村虎吉が来た 木村ハ巴里ニ居る事と思つて居たのに出て来たので驚た 来月の三日とかに又巴里へ行くそうだ そうこうして居る処に中林が来た 一寸居て帰る 又黒田天外と云人が来た 此の人は日出新聞の記者で種取りに来たものゝよし しばらく雑談を云て明後朝を約して帰る 堀江 大沢氏等十一時頃ニ帰る 今晩お種からの手紙を受取る 客が皆帰つてから返事をかく(此の手紙今日の昼めし後に一寸かきはじめたのゝつゞき也) 十二時過ニ為た 今日織物会社ニ居る内から少しポツポツやつて来たが夕方から少し本式に降り出し一時ハ大分強く雨の音がして居たが十二時頃にハ又静に為た