1904(明治37) 年5月6日 Friday


五月六日 金曜

朝大崎に赴く、父上は三十銀行におでかけになる。午後に第二軍遼東半島上陸の号外出づ。市中賑ふ。四時半頃よりこまを伴ひ、かきがら町久留米かすり屋に買物をなし、帰りに橋善にて夜食、客多し、上どん中々出来よし、傍には一人の職人らしき男と一人の兵士との酔談面白し、九時頃に帰宅す。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/05/06 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871271.html(閲覧日 2024-03-28)

同日の「黒田清輝日記」より
 五月六日 金 晴
 御容体申分ナシ 御音声殆ンド平日ノ如シ 午後一時頃父上御入来 又歌選中誤植ノケ所多ク有リシ故訂正セシム可シトノ事也 製本出来上リタル今日ノ事トテ正誤表ヲ附スルノ外ナシ 直ニ電話ニテ吉川方ノ武井ヲ呼ビタレドモ中々来ラズ 三時頃父上御還リ被遊タリ 後チ間モナク武井来ル 即チ正誤表ノ事ナド委シク申附ケ置キタリ 夕刻吉井一三君来ル 又佐藤均来ル 夜食後斎藤先生来リ例ノ如ク遺事録ノ字句修正ヲナシ十一時頃ニ至ル 十二時前寝室ニ入ル
五月六日 金 晴