1893(明治26) 年6月22日


 六月二十二日 (船中日記)
 今日ハまあ無事 和蘭陀国のお娘様方の御望みとか云事で画師をお招きニ相成る 難有仕合即ち蘭人二人の面と鼻ばさみをして居る女の面とをかく 明晩此の船で寄芝居をやらかすので其番附ニ何ニか画をかいて呉れまいかとアレキサンダーもオレもたのまる 無拠次第也 下ニ下りて見ると米人の女の野郎共三四人で何にかの新聞紙の入画などを写して一生懸命ニ番附のかざりをやつて居るわい べらぼうめ本職の画をこんな糞一緒ニされてハめいわく千万とハ云て見てもはて何を画ていゝのかさつぱり分らずソウツト逃げ出シテ呉れた 夕方和蘭陀連と鬼ごつこの様ナ事をしてかけ廻る 九時のお茶のあとで甲板ニ上つたら月がさへて居て誠ニ見事也 仏蘭西人の四十計ニ為る子持の婆さんが其処ニ居て月の見事ナと云処から人生のはかなき事仮令宗旨の考ハともかくも何ニか人間外の人力の及ぶ可からざる力が有ると云事を思ハしむるなど云話が出た アヽ言葉の通ずると云ものハ便利なもんだわい そうして居る処ニ独逸人の小僧が下で皆がカルタをやると云待て居るから早く来いと云ので婆さんニ別れて引込み例の如く十一時迄やらかす アヽ今日ハどうもかるたをやる気ニハならなかつた