本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1893(明治26) 年6月24日

 六月二十四日 (船中日記) 今朝いつもの様ニ起しの鐘をならしながらナンダカ変な事を大声で呼ビ上て通つたが何の事とも別らなかつたがあとで聞てみれバナントか云島が見ゆると云たのだつたそうだ 島ハともかくも食堂ニ船中で買入れた酒の書出シがチヤーンと控へて居た オレ様ハ仏蘭西ヲ出てから此の方と云ものハめしの時など水計で通して居るが此の書出しの酒ハ三等の貧乏者共へ呉てやる為ニ取たのだ 十二時少シ前ニ為て右の方ニ始めて地方が見へて来た 之レハニユーヨルクの入口ニ有る長島と云のだそうだ 即ちあの名高い世界一と云ブロークリン橋ハ此の島とニユーヨルクとの間ニ懸つて居るとの事 昨夜ネる前ハなんだか霧雨が降而居たが今日ハ立派ナお天気さ ニユーヨルクニ乗り込むのニ至極結構ナ事也 面白面白米利堅のお娘さん方ハ小躍をして居るハ オレ様ハ地が見へるかそうかナと云丈で心持ハうれしくもかなしくも屁のヘツかす なんともネへや だが横浜近くニ為たりと来た時ニハ少シハ妙な心持がするだろうと思う かへすがへすも奇ナのハ下等の奴等だ もう直ニ着くと云のできたないなりニめかし上つた アツシリヤの奴など日本流のしやれをしたのなんか居るわい 国流の襟ニ洋服の上衣 それニ丸帽とハ出かした 中等の奴なんかも大抵(以下欠)

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