1893(明治26) 年6月20日


 六月二十日 (船中日記)
 今朝昨日の蘭人と銘々半瓶の酒を三四本かくしニ入れて下等の奴等ニほどこしニ行た 先づオレハ奴の下知ニ従てやる理屈 これハ全ク心静めの為だからどうでもいゝ様ナものゝ色気の有る糞の様ナそんなニ貧乏でも無い様ナ先づ安引張か極みだらな職人で子の一二匹ハ大丈夫隠しびりをしたと居体の奴ニ呉れたりなんかするのハ余り感服セヌ 一と廻りして帰りがけニ例の伊太利人ニ出つこあした こいつハ先づ一寸此の連中でハ気が利て居て面白いから仏蘭西の残り銭が一仏隠ニ這入居たを幸其レヲ呉れてやつた ひる後の三四時頃から雨が降り出シた 散歩する場所が無く為つたので極に困る 下等の奴等の閉口の様ハ言語道断 夜食前部屋ニ引込み少シ読書す 夜ハ亜米利加人 和蘭陀人等と煙草部屋でドミノウイストと云かるた打をならつてそれをやらかしとうとう二仏計の勝ニ為た 給士の黒んぼニ呉れてやろうとしたらあした之レで酒を買てのむから取て置けと云ので其儘持て引込む 時ニ十一時也 部屋に這入てネようとして見たがなんだか色々と巴里辺の事が頭ニ浮で来てネむられず 書物を開てしばらく読む〔図〕