1893(明治26) 年6月19日


 六月十九日 (船中日記)
 日ニ増し舟のゆれ方がつよく為る様だ 今日ハたてニも横ニもゆれるわい いつ胸が悪く為る事か知れないからけんのんでならない 今日の波の様子ハ本当ニ大西洋だと云てもいゝ 随分きも太く打ち上る 曇てる相様ハ昨日ニかハらず 大西洋と云ても大西洋の北の方の事だからこう云曇天気の方が相応で面白い 尤も下等の奴等の中ニハアツシリヤ或ハ伊太利などあつい国の者が国風の儘でしやがんで居るのだから日の無い方がかなしみをそへて目出たし 米利堅人の女ニへいつくばる事ハ実にあハれだ 女ならでハ夜の明けぬ国と云のハ先づ此の米国の事とした方がましだ オレなんかを二つ合しても中々及びもしない様ナ丈夫な女があまへ面をして長椅子ニべらりとやらかすと先づ其足をケツトで丁寧ニ包でやる 夫レから寝ながら何ニか食と御仕舞ニ為りました時ニハへいと云体で皿だの猪口だの取てのける(中略) 一人の奴などハ毎日女を取りかへて何時間となくこそこそ話の様ナ事ヲやつたり又書物を読で聞かしたりして居る オレなんか余程気ニ入つた奴とでなければあんな事ハとても出来ネへ お勤だと思つてやつて居るのか 将又壺でさへあれバと云あきらめ心から来て居るのか なニしろ妙な生れ付の御方がた也 オレの知合のアレキサンダーはオレの友達丈有つて奇な奴で米人と生れて居ながら女ハ面倒臭いと云て御近付ニならずニ居上る 開ケタ奴だ感心 今霧雨が降出したので皆幕の下ニ来て長椅子ヲならべてオレ様に面みせと云体だ オレは長椅子を借りなかつたから舟ニくつゝいてる共有の腰かけニ懸て居るから丁度奴等の前に居る ナーンダへたな面の行列 余りほめたもんぢやネへ 先づ矢張此の連中で見るニ足るのは和蘭壺の鼻目金だ オイネへさんおめへさんは一寸見上げたぜ 休でる暇ニ針仕事ヲ始めた めすハ矢張めすの様にして居なくつちやだめだ オレ様はなんと云ても下等の連中が好きだ 之レから少し下等の美人の評を致しやせうから此の上等の甲板から士官部屋の間ニ一人有り 年の頃十七計(オレハ若いのでなけりや見が付かない)中肉中ゼへ面丸き方 目大き方 歯ハ至て奇麗でよくそろつて居る 毛の色ハ栗色 陸ニ居る時なら前髪の処をちゞらすのだろうが今ハやつれきつて其毛がひたいの処ニ半分計右から左の方へたれかゝつて居る 人を見る時ニハ左の目をネブツて片めつほをして見る ネズみの一寸さつぱりとしたはかまニ黒の上衣 肩の処が少シ高く為つて居ても腕の処がそんなニ広くないのを以て見れバ去年の流行の衣物也 頭ニハ何ニやら黒い布を冠つて居る 言葉ハよくは分らないが独逸語の様ナのを話して居るらしい 此処を通り過て船の頭の方ニ行くと三人列んで座て居る娘達有り こいつらハポロニユの猶太人ならんか オレ様のお気ニめしたのハ三人の内の真中の奴だ 毛の色ハ矢張栗だが極うすいのだ 仏語でももう此の位のハブロンと云のだ 面の形ハ余程丸い 年の頃ハようやく十六 チエスト おつと女ニチエストと云ノハ男の恥だつた ごめんなさい 被物ハ上衣が茶色の竪横じま そで口などニ椽が取つて有る そんなに破れハ居らぬ様だが色合から形ちからどうしても四五年以前のものと見ゆ はかまハ黒で羅紗のうすつぺらなやつだ 頭ニハ白の極うすい毛織の布をかぶつて居るが乱髪の後ニたれたる様シコの多い事と察せらる 人相ハ口小さき方 鼻あまり高からず 外ノ二人の様ニ決して猶太鼻ぢやネへ 目も余り大きくハネへが目付何となくおとなしく其内ニはずかしみとかなしみとをふくませたる まあどう云不運でこう云人間のくづの中ニこんな顔色をした者が有るかなと思ハせる アヽ下等のもの思の少ないと云うのハどうしてもうそニ違ない 昨日そうつと其女を見て居たら仲間の娘連と指くらべの様ナ事をして居たがアノ左の手の紅指ニ可成大きな仏蘭西で云アリヤンスと約束の指わの様ナ金の指わをはめて居るのハどう云訳かナ 此の女の立つた処ハ未だ見ないけれど今一人の奴と大抵同じ位の高さらしい せいぜい高くてオレ位のもんだろう オレより却て低くハあるまいか 面の色ハ第一奴ハ青白の方だが第二の奴ハ少し赤みを帯て居る オレ第二の奴の目付が余程気ニ入つたわい 他分こんな奴等ハ亜米利加で地獄でもやるのだろう はずかしい様なまの悪い様ナ面付ヲするのも此の船中限りの事なる可し 始終変り行のが浮世だ こいつが消ゆれバ又外のものが出て来るわい 盡せぬとハ甘い言葉だ さつき伊太利人の奴を見かけたら今日の昼めしニハかなりなものを食ハしたと云てよろこんで居た 此の貧乏人の集まりをおつかさんニ見せて上たらいくらお金が有つても足りまい オレでさへも銭を呉れてやりたく為るから 昨日のひる後ニハ燕の様黒い小さな鳥が二三匹船ニ付てしばらく飛で来た 又遠方ニ大きな長三四間もあろうかと思ふ様な黒い魚がビンタをヒヨツクイヒヨツクイ出して行のを見たが今日ハそんなものハさつぱり見ず 船ハ矢張毎日見懸る 今日ハいつもより横ゆれが強い故今机の上ニ皿なんかゞ落ない様ニ箱を置て舛ヲ造つた 又三等の話だ さつき和蘭陀人の亜米利加ニ二十五年程住て居ると云奴が来いと云ので奴ニ付て三等の甲板ニ行た 奴ハ中々面白い事をやらかす 三等中の美人の様ナのをよつてそいつニ葡萄酒を半本づゞ貰れてやるわい そこでオレが前ニ記した頭ニ白い布を冠て居る一寸目付が悪くネへと云奴の処ニも行た 畜生め 独逸語を話すのだからオレ様ニハ何をぬかすのだかさつぱり分らない いよいよそばニ依てよくよく見て見ると少しでぶすぎおまけニ横の方ニ歯が二三本足りないや 困つたもんだ女なんてものハ之レだから困る 之レで奴の云事でも解ろうもんならおしまいニ違なしだ 今夜ハ月がなかなかよかつた 船の奴等の面も見知つて今日なんか一緒ニいろんな事をして遊だ 先づ船中の遊と云ハ甲板ニごばんの様ナものを書き其碁ばんの中ニ四とか十とか又十五とか書て有る 其レニ向テ遠から丸い板を長いへらの様ナものでスルスルツと押てつき込むのだ 夫レで其丸い板が甘クごばんの中ニ入れ其這入た処ニ書て有る数を取るのだ 其丸い板ニハ赤い筋のと白い筋のと二た通り有つて同じ色のが四ツヅつ有るから総て八也 今日此の勝負を米国ニ二十五年居ると云おぢいのイタリと云奴と麦酒を一本懸てやつたら負ケた 又綱で丸い大小のわが出来て居るのを丸い高サ一尺足らずのキヨンをニユーツと立つた棒ニ向て遠からなげて夫レニわを引懸つこさ 之レハおれ様ハ未だやらない 今一つの遊ハ六人仲間が居れバ五ツ白墨で場所の印をつけて置き一人ハ鬼でチヨイと自分の場所をはなれて外の奴の処ニ移る奴が有ると其明場所をネらつて飛ビ込むのだ そうして始終皆チヨイチヨイ走り廻り這入処のなくなつたのが鬼さ 此の外の遊ハ皆ジグリーと丸く為て立て居り丸く為つてひもを皆ニギツテ居る 其真中ニ鬼が立て居ひもニはめてある小さナのを皆隣から隣手から手ニ歌の調子でまわす 其丁度手ニ握り合した処を見付ケられたのが鬼ニなるのだ 船長なんかも一緒ニ為てこいつを一度やらかした