1893(明治26) 年6月18日


 六月十八日 (船中日記)
 さて上等の女連始終見懸る奴ハ十五六人も居るが此の内子供や婆を取りのけてサア入らつしやいましと云壺が十人計ハ大丈夫居る ナサケなやと云言が直ニ出て来る こんなニ大勢居る内ニ面と云程の者僅ニ二つ丈だ 此の者共ハいづれも和蘭陀種だ 矢張黒ニ黄だ 年の頃二九か二十かと云処だから申分なし 姿ハ中々いゝ オレの話し相手の米国の画師アレキサンダーハ黄い方の奴が悪く無いと云つたがなる程面立ハ黄い方のがいゝ様だがどう云もんかオレは黒い方の奴がいゝ 金の鼻はさみの目金ヲ懸けて少シあをぬいた様ニして歩くざまがお気にめした どうかして知り合ニなり度いがそう云わけニも行かず 先づ女なんかとつき合ハ大抵此の位の処が極た 只見る為ニ出来てる動物だものヲ 上等の客ハ独逸人 和蘭人 亜米利加人 仏人だ 仏蘭西の婆さんで三十五六の者が一人十位の小娘ヲ連れて乗て居る 博覧会見物ニ行のだそうだ オレ様ニ話ヲしかけた 乗合人の内で博覧会ニ行かないと云奴ハ一人もない オレも博覧会見物だと云て居るがべらぼうめ博覧会なんかどうでもいいのだ 米人のめすと云奴ハ一種奇な動物だ 朝逢た時もこつちからへいつくばつてびんたヲ下てあいさつを云ニ行くのを待て居るのか中々向から礼をし腐らネへ 之レか三四週間ハ奴等の在所をへめぐるのだから一番研究してやるぞ まあなんと云ても此の舟中で面白いのハ下等だ 体屈ニ及ぶと直ニ下等見物ニ出懸る 五六ケ国の人間が集つて居る丈面付モ種々雑多だ あつちこつちと見廻つたら可愛いのが三つ四つ見当つた どんな心持で居上るか知らん 昨晩などもアツシリヤ人と伊太利人の様ナノと集つて一人が笛をふき三四人手ヲたゝいて拍子を取りアルゼリヤの躍の様ナのをやつてしきりニ楽で居た 教育のない連中だから苦しみ少なくわれわれよりハ気楽なりなんかと云人有れどどうもオレニハそうとは思ハれない なぜそんなら夕方などニあんなニ悲しい調子の歌など海をながめ乍ら歌て居るのだろう ナアーニ奴等だつてすみなれし処を去て言葉も分らぬ之レから先どうして生て行けるか知れない処ニ向ケ行ノハ悲いニ違ヒないのだ あのゴロ寝をして居ながらオレなんかゞ見物して歩くのをさもうらめしそうニして見て居るぢやネへか 此の一事でさへも困しみ有る事ハ明かナもんだ オレの考でハ奴等ハ教育が無い程困しいの悲しいのと云事が多いだろうと思ハれあの下等の奴等が直ニ腹を立てゝ見たり又賎い者の子供ハいやニなき虫だのなんかハいゝ証拠だ 教育が有れバこそ悟りニ近づいて居るのだからつまらない事ニ感じネへ道理だ 物事ニ取て弱いのを女子供と云ぢやネへか 今日終日曇だが気候ハ昨日なんかよりあたゝかだ 海ハあらいと云程ちやネへがお昼御膳の頃から少シぺこ付始めた 食たものが少シ不平ヲ云て居る体だ 下等で五ツニなる小僧が一人今朝ごネたと云話 今ニ又死ぬ奴が出来るだろう あんなニきたなくごたごたニして居る上ニ只の時でもべとニ為りそうなものを食て居るものヲ無理ハネへ 之レモ亦一生だ どうも下等の奴等が気ニなつていけない 今晩もめしを食てから丁度二階から通りヲ見る様な理屈で上等の甲板の手摺ニ依て下等見物をした オツト其前ニ其前一と事有つた 今晩のめしニ金米糖類の菓子を出シたので其レヲ食ハずニかくしニ入れて来て下等の小僧等ニなげてやつたのさ 其レヲ御縁ニ仏語を話す伊太利人 之レハ年ハ三十位だが子供等の親爺と見へて小僧等ニ仏語で難有旦那様と申なんかんと云て其序ニマア聞て下され 此の船の食物があんまり悪いので今ニ此処に居る者ハ皆いき付て仕舞ます(on va crever)と云た 夫レからすこしして前ニ云た手摺ニ依りかゝつて又下等を見物したのさ そうすると前の男が顕れ出でゝまあ御覧被下こんなものを食ハせます 之レで生て居られるもんですかと云て半分腐た様ナ見た計でも胸の悪く為る様ナハラン(我ニシンの類)とパンを二片れ見せた 丁度其時に船の医者(米人)と副船長(蘭人)とが下等の病室の様ナ処ニ這入て行たので先づあいつ等ニ此の食物を見せてもつと何か食へる様ナ物を貰ハんと思つたのか今一人の骸骨の様な伊太利人で年の頃二十三四と見へた男が其にしんとパンを取て副船長のあとニ副て這入らんとしたのさ 其処ヲ水夫が見て手早く押しのけた 云ヒ訳ヲ云へども言葉は通ぜず水夫の方ぢや聞もせず 処で腹ヲ立て手ニ持て居たものを地ニたゝきつけた(感腹面白し) 水夫ハ相手が地ニ打ちつけたものをひろつて皆海ニすてゝ仕舞た どうも天下の事ハ思う様に行かず腹立たしき事が多い 今夜此の伊太利人の不平を聞て教育のないものだと云て困しみの少ないと云事ハない オレなんかなら不充分ながらも世の中の事ハ大抵此の位の事とあきらめを付くると云事が有るけれども下等のものどもハそう云わけに行かないから困しみハ却て多いニ違なし 切角知合が出来たのだから之レから色々下等の事ヲ研究してやろうナンダ考て見る 船の奴等が此の下等ナ者共をあわれと思ハないのハ無理ハ奴等ハ始終此の類の人間を見付て居るから 併し昔し話でもなんでもなくしかも文明国の真中で此の類の生活が有るのハどうも変だ おとなの奴等ハアヽどんな苦しみをしてもいゝと云様なものゝ可愛そうなのハ小供だ 大勢居る内ニ中ニハそれこそ玉の様ナのも居る どう為り行ものか知らん アヽ入らん事ニ心配する 之レモ日暮し芝居ニ行てないて帰て面白かつたと云が如し さつき四時半頃ニハハア今夜ハめしが食へまいかと思ハする様ナ胸具合がしたからこん畜生めと大憤発船の鼻の高低く為る処ニ行てどしどし運動してやつた 一時間たらずやつたら汗が出て来た 其処で下襦袢を取りえへ夏の襟かざりなどしてチーンとしやれ込み食堂ニ出懸るとめしの甘かつた事 いつもニかわらずめでたしめでたし 今日ハお天気ハ先曇勝 此の辺の海ハブレハ辺とそんなニ色ハ違ハない 夕方などハ特ニブレハの北海の事などを思ヒ出すわい 武烈坡の時代ももう一と昔と為て今から考へると矢張妙な考ニ為る 久米や河北や次郎公なんかもこんな心地ニ為るか知らん アヽ過去し事と云ものハいゝもんだ 上等の女の子の話ニ一人忘れたのが有つた 和蘭陀の女で一人旅と見ゆるが和蘭国の服ヲ得意で平気で威張て被て居るわい あの例の金銀の甲ハ冠て居ないが白い頭巾ニ金のかんざしを小びんニさし込み腕の半分迄きりやネへ袖の黒の衣物だ 腕ハアノミツデルブルグ辺で見たのゝ様ニうでだこの様とハ此の事だ どうしてあんなニ赤くなつてるもんか不思議千万 其女年の頃二十四五ニも為る 面付き丈長く立派ナ代物さ いやニチーンと構て居るが先づ下女かなんかだろうと思ふ