1893(明治26) 年6月15日


 六月十五日(船中日記)
 あんまりおそくなるから甲板から下りて部屋ニ這入つてさてこれから寝ませうとして見るとサアなんだか変だ 変だと云船ニ酔たのかと思かもしれないがそうぢやネへ 何と無ク別れがつらいとでも云様ナあんばいさ だが今度の旅ハ又来る事があるわいと云考が充分ニ有ると久し振で帰ると云のと二つあるもんだから九年前ニ日本を出る時の心地とハ大違だ なんだ此の辺の海ニ青光の有る事ハ妙だ 先年ブランケンベルクで和郎や次郎公なんかと砂を海ニなげてピカリピカリとするのを見て楽だ事が有つたなどを思ヒ出す アヽモウ事も人もさよならだ 此処ニ一つの仕合有り オレの這入る部屋ハ全体二人入だか上等客が少ないので独りで押領 少ないと云ても随分居る 幾人か知らん 三四十人ハ居るよ 朝七時頃ニ目がさめたが少しぐつぐつして居る内ニ鐘がなつた 之レが朝めしの金でもう八時だ 海も静でハあるし気分ハなんともないから一番食ヒニ行た 上等丈あつて食堂ハ広々として中々奇麗だ 長い机が二ツならびニ為て居て給仕人が一つの机ニ二りづゝ居る さて何ニをめし上りますかと云てこん立を出されたのニハ閉口 英語の様ナもので書て有るからさつぱり解らネえ ぐつぐつして居てやつたら之レハどうだと云て持て来たものを見れバ米とむぎとこネまぜたネいぼの様ナものさ 先つ其レヲ少し取て食た 砂糖と牛の乳とを懸て食うのだから甘い甘い 其レヲペロリとやつつけて仕舞うとこんどハ何ヲと云体 こいつハしめたりだがこん立が解らねい くりかへくりかへみて居る内ニコールドミイトと云のニ見当る 之レハ目の前ニチヤーンとバタやからしなんかと列べて有るので手をのばせバ直ニ取れるのだ だが横文字が読めるのだ 食物を申付ケルのニぐづぐづして居たのハ食ヒ度いものが無かつたからの事だと云事ニ察さして仕舞つて呉れんと思ヒ其冷肉ヲ呉れと云て取て居る処に今独りの給仕が之レハ如何と云て肉のてり焼と云体のものを持て来た うつたりもたりさ 其レも取て食ふ 其外ニ豆茶ヲ一杯やつゝける 其レがすんで外ニ出て見ると下等奴等の植ぼうそうが始まつて居上ら 之レハ一種の見物だ 小僧がなく 女子がしかみつゝらをする 就中十七八の尼ちよ等いやがつてにげようとするのを水夫がふんづらまへと医者がごしごし丸で肉でもきるようニして植る 女ハべそをかくやらオラオラと云てさけぶ 間もなくすんで仕舞なんかんてのハ面白かつた 之レがお昼頃迄つゞく 昼めしも無事ニすむ 晩めしハ五時半頃 それから又夜の九時ニお茶だ 今日ハ終日袖が浦の中だつたから始終色々ナ舟ヲ見懸た 陸も右の方ニ時々見ゆ 英国の南岸と知られたり 夕方から少しづヽ波が立つて来たがナアーニたいした事ハネへ だがなんだかめしヲ食のニきびが悪かつた