1892(明治25) 年10月20日
十月二十日附 グレー発信 父宛 封書
(前略)天気も秋ニ為りて雨計り 之レハ私ニ取りてハコレラより閉口 外にての稽古出来ざるが為メニかき懸けの夏の画ハちつとも進まず 今と為てハ好き天気ヲのぞむ事ハ六け敷く候間何ニか別ニ冬向の画かき始むるより外ニ手ハなき事と存切角其用意致し居候 去る十五日ハ借家引払の期日に有之候間荷物片付其他色々面倒ナ事ども処置の為去十三日出巴一昨日迄滞留又々田舎ニ引返へし申候 巴里にてハ先づ銀行にて金を受取り久米氏ヘの借金三百仏も返へしそれより大憤発にて家の引払致し候 道具ハ大抵久米氏の物故同氏の望ニ任せ寺尾氏へ引渡シその運送の序ニ私のカバン書物又一二の家具等も寺尾氏方へ持ち込み預け申候 寺尾氏と申ハ寺尾亨と云人ニ御座候 先年私の仏語の教師として御頼み被下候寺尾寿と申天文博士の弟ニて法律学を以て日本の大学校の教員を被勤候由ニ御座候 小松宮の御肖像其他景色画なと上出来の分二三枚今度是非差送り度兼而考居候得共右引越かれこれにて思の外物入多く懐中たつた二百五十仏丈に相成候故とても今の力ニは及ビ難く思ヒ切り申候 書物なども集めて見れバ中々沢山ニテ之レニも随分運賃ヲせしめらるゝ事と存候 余附後便 早々 頓首
父上様 清輝拝