1892(明治25) 年10月14日


 十月十四日 金
 起きると直ニ内の片付ケ方ヲ始む どこから手ヲ付ケ始メテいゝか分かネへ様だ 十時頃から寺尾氏の処ニ出懸て行きそれから一緒に先生が見付ケテ置たかし家ヲ見ニ行く いよいよ之レヲ借リテ久米の道具ヲ引受ケル事ト極まる 先生ヲ内ニ連れて来て道具ヲ一と通り見せた 昼めしも吸風呂屋で一緒ニ食ふ 昼後ハ新宅の家主の処ニ一緒に行やら安物屋に行やらした 引越引受所ニも行ていよいよ来る日曜の昼後引越ヲやらかす事と極む 吸風呂屋の前の髪結床ニ立寄り頭の毛ヲつませた 夜食も亦吸風呂屋で 醜婦楼及びソルボンヌの前通りの赤茶屋とかなんとか云処で飲む 此の茶屋近頃の大流行にて引張なども大抵此処ニ集り来るとの事也 祖山 大鳥及植木屋和助等来る 大鳥氏ニハ今夜が初メテの面会也 いゝかげんニ皆さんニ別れてぼつぼつ歩て帰る 昼めし後直ニ寺尾氏と小僧ヲ尋ぬ 小僧も杉も居らず 小僧の部屋ニ這入込で待つ 植木屋和助も元吉もやつて来た処で麦酒ナド取り寄せ元吉のデロレンを聞き暇ヲつぶす 三時頃迄居て去ル とうとう小僧ニハ逢ハズ 夜醜婦連では寺尾 曾我と三人連だつたが曽我は少しく病気且試験前と云ので早々と引き取る いつか奴にかした姿に為て居た銭を昨日是非受取テ呉れと云テ返へした 借リテ返へさぬが近頃の風習金ヲ返へして呉れるやさしき心有ル人有りとハ珍らしい