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     六月十九日 金曜 (独仏国境旅行日記) 朝八時半頃シユルフトを立ち昨日ノ如ク国境ニ沿ヒ進ム 山又山也 はればれとしてよし タンネツク山と云ホネツクニ次クと云高き山をも打越へ一時頃ニラツクブランと云湖の有ル処ニ着く 此処ハ独逸領也 例の先の尖つた甲をかぶつた兵卒が四五人茶屋の庭先で酒を飲で居た 拙者等はそんな不意気な者共ニハかまわずいきなり茶屋ニはいつてめしを申付ケた どうもどうも待たせた事待たせた事それハそれハ非常さ そうする内ニ前に見た兵隊の内の一人がやつて来て拙者等の国元や職業なんかを取りしらべた 例の旅券を見せてやつたら安心して行て仕舞たなんとも別ニ面倒を云ハず丁寧ニ礼などして行た 先づ此の位の事ならかんべんしてやろう 仏国の此の前ニ出合た憲兵の馬鹿野郎よりも今度の独逸の兵士の方がはるかにましだ めしやのめしを持て来る事のながく懸るニハ驚き入つたもんだ 一皿持て来てから其次の皿迄ハ三十分もかかつたぜ おまけに銭が高い 勘定は独逸のマルクでやつてあつて仏のフランでハない 併しフラン銭も受ケ取る 仕合せ也 三時頃ニようやくめしをすまして立出で少しく行くと道のわきの木の陰の様な処ニ又兵卒が一匹鉄砲を持て休で居た なんとか独逸語でぬかした様だつたが拙者等ニハ通ぜすそれからおかしな調子で仏人でハないかと聞たから否と答へてやつたらよろしいと云て其儘通した 鳴呼まあなんと馬鹿げた訳でハないか 国境だとか兵隊だとかいやニなるぜ まあ国境ハともかくもこんなニ出はいりを面倒にするとハいかにも古風だ それより又国境ニ沿ツテ行く 森の中で道がよくわからなくなつたが方角が大抵付テ居たから安心して歩た とうとう本道を見付けた それから少し廻り道ではあつたがついでニ見て置く可しとルリユドランの滝と云のを見ニ行た 上と下と二つ有り日本なら雌滝雄滝と名づくるのだ 一寸見るに足る 六時半頃ルリユドラン村の宿屋ニ着く ロベル氏の教でおまへの処をたづねて来たと云たら余程よろこんだ様子なりけり 宿屋のばゞあ真ニいゝばゞあ也 まるで巴里近在のどこか始終行付ケた田舍ニでも行た様ニて我宿ニ居る心地す 安心々々 今夜は久米公と別々ニ部屋を取るぢやんけんをしたら拙者が立派な方の部屋に当た 此の部屋ニロベルの筆ニテ亭主夫婦の像有り 額ニして掛テ有る 久米公の部屋との境の戸を開ケたる儘ニして置く 此の方が広さも広し又寝話しニ便也 諸君よ諸君 吾曹ハ人心の共和安楽を主義とする者也 国境の兵隊馬鹿な憲兵面倒臭き御規則ハ好まぬ者也 云々 十時半頃休む 直き部屋の外を流れて居る谷川の音を聞ながらねるのハ妙也  谷川の音をまくらにいぬる夜ハあらしするてふゆめを見るかな  あらしかと驚きゆめはさめニけりまくらへ近き谷川の音

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1916(大正5) 年9月8日


 九月八日 金 晴 暑サ酷シ 九十度ヲ越シタラント思ハル (鎌倉)
 今日ハ午前ヨリ午後ヘカケテ前日ノ仕事ヲ継続セリ 試作トシテ予期ノ結果ヲ得ズ 今後更ニ充分ナル研究ヲ要スベシ 印度太古史ヲ読ミタレドモ蚊ニ刺サレテ床ニ入ル 十一時也

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