1904(明治37) 年7月5日


 七月五日 火 晴 少シク風アリ 併シ暑サ強シ 寒暖計八十六七度位
 御容体御異状ナシ 午前十時半頃学校卒業生八名御礼トシテ来訪 其人々ハ熊谷 関屋 谷 岩鼻 坪田 高木 伊達 山下ナリ 一時間程語リテ去ル 山下ハ洋行ノ事ニ就仏国ノ状況尋問ノ為メ居残リテ十二時マデ語リタリ
 (受信) 独逸国フヰツシヤ氏ヨリ印度製花瓶一個小包ニテ送リ来ル

同日の「久米圭一郎日記」より
八時頃から目黒に出掛ける。丁度よねがサラードを買ひに行つた処であつたので例のロースビーフの御馳走になつた。前日歌舞伎座活動写真見物の話などがあつた。庭は凌霄花満開山百合多くの蕾を持つ、畑には茄子茂る。今日は井戸浚へ職人が来て仕事をした。連日の旱天に拘はらず水勢盛んなり。二時頃に辞し帰る。夜留守番。七月五日 晴