1904(明治37) 年6月29日


 六月二十九日 水
 本日モ御容体ニ就テハ異状ナシ 御体温ハ矢張七度三分ニ達セリ 午前八時半頃中丸 松原三五郎ノ二氏来訪 客去リ直チニ登校 入学試験ノ成績調査ヲナス 一時頃長 中 藤 和 小ノ五氏ト精養軒ヘ行ク 照来会 四時頃帰宅 間モナク父上御入来 暫時御談話 夕刻青山翁来リ共ニ晩餐ヲ喫ス 夜八時頃米田屋仮縫ノ為来ル 合田去リテ後チ直チニ就寝 時ニ十一時半 学校ヨリ帰宅飼猫チー花壇中ニ死シ居タル由ヲ聞ク 平常愛シ居タル猫ノ事トテ其死ヲ聞キイヤナ心地セリ 夕刻植木屋「大」ニ命ジ氏神ノ森ノ後方ナル一ツノ小サナ榊ノ木ノ下ニ埋メシメタリ

同日の「久米圭一郎日記」より
朝十時頃九島夫人が見へた。四五日前に静岡から帰京すといへり。十一時には竹沢来訪英国製自転車出物の件を話す。其処へ仁戸田竹庵氏が伜を溜池へ通学させたいといつて来る。一寸ごたついたが間もなく両名共帰つた。昼はお常さんを更科に同行した。日中の暑さは頗る強かつたが家に帰れば風でつめたい位である。入浴後四時半過おつねさんを送つて新橋で夜食、後練瓦通りより丸ノ内まで散歩、日比谷から街鉄電車にて帰宅。途中狸穴坂の上で佐野に行き逢ひ同道す。六月廿九日 晴