1904(明治37) 年5月21日


 五月二十一日 土 雨
 御体温平常ニ復シ六度八分ノ上ニ出ズ 結構ナリ 小西氏午後一時半頃来診 又間モ無ク父上御入来 殆ンド同時ニ樺愛君来訪 覚悟ト題セル小冊子十部持参贈与 更ニ斎彬公御肖像二千枚印刷ノ事ヲ依頼シテ去ル 父上ニハ弘文館ト掛合ノ件ヲ委シク申上ゲタリ 大迫氏モ来訪 夕刻マデ談話 夜ハ十時半マデ齋藤氏ト例ノ訂正ニ従事セリ 十一時ニ寝室ニ入ル
 (発信) 吉井君ヘ端書
 (受信) 白尾君ヨリ手紙

同日の「久米圭一郎日記」より
前約に依り一時半本郷帝国大学文学会にて講演をなす。聴衆頗る多数二時開演す。最後福地桜痴氏の阿古屋の琴責の講評で燈がつき、後に旧御殿にて晩餐の御馳走になる。上田万年と姉崎正治及三上参次等主人役であつた。食事中は福地先生の懐旧談で五千足の武者草鞋処分の奇話があつた。九時過になり解散、車の用意を受けて十時に帰宅した。五月二十一日 土曜 曇後雨