1904(明治37) 年5月12日


 五月十二日 木 晴 風
 昨夜十二時頃ヨリ吹キ始メタル風今日終日烈シク夜ニ入リ止ミ十一時過ヨリ雨トナル 母上御入浴此風ノ為メニ延期 看護婦二名共召集ノ命ニ接シ明日限ニ辞去スル由故直ニ此旨ヲ小西氏ニ通ジ更ニ一名雇入ノ件ヲ依頼セリ 何分ノ返事ハ明日トノ事也 本日ハ午後四時頃来診 午後井伯ノ肖像ヲ描ク 右手ノ下部ニ礼帽ノ一部ヲ加ヘタリ 午後ノ来訪者ハ杉竹氏 恵美子殿ノ二人也 杉竹ハ四月十三日ノ海戦ノ看取図ヲ持参シ之レヲ油画ニカキ直スベキ事ヲ嘱セリ 夜食後井田女史ヲ訪ヒ九時頃帰宅ス 白尾君待チ受ケ居ラレタリ 談話十二時ニ至リタレバ遂ニ一泊セラル

同日の「久米圭一郎日記」より
今日は鎌倉地方に遠足をやるので学校は休みになつた。夕方寄席へでも行ふかと思つて居る処に菊地の野郎がやつて来た。軍人の肖像を売り出す積りだから其広告文をかいてくれろと頼みに来たのだ。それから是非小父さんを迎ひにやれと云ふので呼びにいつて間もなく来た。今夜は十時過で帰る。五月十二日 木曜