1904(明治37) 年7月12日 Tuesday


七月十二日

今朝竹沢と同行出発を約したが曇天にてお流れとなる。残念。菊次郎が野菜を持つて来た。午後学校に出掛けたが文庫は既に退出後であつた。校長は病気未た全快に至らずとの事。学校を出て竹沢の方に向つた処音楽学校前にて中村に行逢ひ高等商業学校の一件を聞込む。団子坂上長原を訪ひ研究所用金四〇渡す。間もなく辞し竹沢の処へ行つた。房州輪行相談の為なり。併し旅行の事は赤痢類似患者生じたるに依り今回は廃案となる。晩食の御馳走になり九時過に帰宅すれば、高樹町丈が待つて居て十一時頃まで話す。

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例)「1904/07/12 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871606.html(閲覧日 2024-05-16)

同日の「黒田清輝日記」より
 七月十二日 火 時々雨
 御容体ハ御気分ノ点ニ於テ一層元気ヲ加ヘタルガ如シ 尿量ハ千五百余ニ達シタルモ体温ハ減ゼズ 矢張七度七八分位ナリ 今朝白尾君専売局技手ニ任命ノ披露トシテ来レリ 飼犬シエフ四五日前ヨリ病ニ罹リ居ルニ因リ(昨夜始メテ聞ケリ)須貝氏ヲ招キ診察セシム 後武麿 知足ノ二人ト共ニ癒治ヲナシ又犬小屋ノ掃除ヲナス 二人共大ニ盡力セリ 午後太田美方君土産物持参来訪 夜斎藤氏来リ例ノ遺事録ニ従事 同氏去リテ後チ競技規定案ノ修正ヲナシ十二時寝室ニ入ル
 (発信) 下山ヘ宛軍事郵便トシテ書状ヲ発ス
 (受信) 午後三時半下山ヨリ明日宇品出発ノ電報到来
七月十二日 火 時々雨