1904(明治37) 年7月13日 Wednesday 七月十三日 晴 午前黒田の処に出掛ける。吉井一三より商業学校仏国教頭云々の話があつたといふので其詳細を聞き同伴にて松崎校長を尋ねる積りで電話をかけたが不在にて止め、委細の話は黒田に托する。昼飯御馳走になる。又黒田の電話を借りて竹沢と房州行の相談をしたが赤痢患者騒きのため愈々延期と決した。夫から帰り掛に合田に逢つた、不相変写真熱心の姿なり。暑中にて御苦労千万。 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1904/07/13 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871611.html(閲覧日 2025-04-28) 同日の「黒田清輝日記」より 七月十三日 水 矢張今日モ御体温ノ点丈ガ難題ナリ 朝九時過平岡之隆氏見舞トシテ来訪 十時頃久米来リ午後三時頃マデ語ル 五時頃長原君来ル 夜競技規定案ノ清書ヲナス 十二時就寝 植木屋ヲ呼ビ離座敷ノ屋上ニ苫ヲ張ラシム(七月十三日 水) « 七月十二日 七月十四日 晴 »