1904(明治37) 年7月2日 夜こまと共に恵智十に出掛けた。出物は柳派の落語源水の独楽廻し等色々あり。最も可笑しかつたのは高橋勝造が来て居たのが如何なる覚へ違ひかあなたは小林さんでしようといつて日光ホテルや中禅寺に居た何某が愛宕館に来て居る話なとをしたが面倒だから其儘の挨拶をしてやつた。大方小林といふは異人附のガイド位なもんだろうと思ふ。そんな奴に間違へられたのは感心しないがどこか似て居る所があると見へる。勝造が何故に来て居たかといふと此寄席で中入後には松尾龍といつて日露義太夫をやるが後しろに幕を引張つてかきわりのやうなものを見せるのであつて、是は米国で金銀の賞牌を色々得られた高橋勝造先生の義侠心を以て描かれた油絵にござり舛と義太夫語りが披露をする一種の広告手段であるのだ。特に妙なのは此義太夫語りは高座の処に卓子を置いて演説をやるやう突立つて新作の義太夫をやる。それがために肝賢な書割りは体に隠れて見えないといふ滑稽な訳である。余り面白くもないから半分で御免を蒙つた。夕立模様で怪し気な風が吹くので急き帰る。 続きを読む »