1904(明治37) 年7月28日

夜食を五時前に仕舞つたから、父上の病気見舞に水蜜桃を携へて自転車で目黒に行く。最早神経痛は鎮静との事であつた。今日の朝日新聞銀行金融順調論を話したるに、早稲田伯は全く反対にて財政悲観有価証券下落の見込との事を聞く。是も余り当てにはならぬと思ふ。九時頃まで話し、帰宅せんとして狸穴坂にて伏兵あるを偵知し、銀座辺まで迂回す。是は今夕万朝の号外遊弋露艦全滅の報を確かめんと欲したる故なり。果して此報は海軍省より虚報なるを言明したり。世俗の期待心に満足を与へんとする此種の報はとふして出るものにや。十時過になり帰れば高島、小泉、菊地、森元、小父さん悉く集つて居た。大人の勢当るべからずとの事、余は一回丈でやめた。

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