1904(明治37) 年7月13日 午前黒田の処に出掛ける。吉井一三より商業学校仏国教頭云々の話があつたといふので其詳細を聞き同伴にて松崎校長を尋ねる積りで電話をかけたが不在にて止め、委細の話は黒田に托する。昼飯御馳走になる。又黒田の電話を借りて竹沢と房州行の相談をしたが赤痢患者騒きのため愈々延期と決した。夫から帰り掛に合田に逢つた、不相変写真熱心の姿なり。暑中にて御苦労千万。 続きを読む »