1904(明治37) 年7月12日

今朝竹沢と同行出発を約したが曇天にてお流れとなる。残念。菊次郎が野菜を持つて来た。午後学校に出掛けたが文庫は既に退出後であつた。校長は病気未た全快に至らずとの事。学校を出て竹沢の方に向つた処音楽学校前にて中村に行逢ひ高等商業学校の一件を聞込む。団子坂上長原を訪ひ研究所用金四〇渡す。間もなく辞し竹沢の処へ行つた。房州輪行相談の為なり。併し旅行の事は赤痢類似患者生じたるに依り今回は廃案となる。晩食の御馳走になり九時過に帰宅すれば、高樹町丈が待つて居て十一時頃まで話す。

to page top