1904(明治37) 年5月13日 Friday


五月十三日 金曜

一日引込んで居た。夜七時頃小代が来て一緒に麻布亭に源氏節を見にいつた。例の通芝居の真似事をやつたが先づ役者は揃つて居る方であつた。入りは七分通りである。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/05/13 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871306.html(閲覧日 2024-05-13)

同日の「黒田清輝日記」より
 五月十三日 金 曇 本日ハ余リ暖カナラズ
 本日ハイヨイヨ御入浴被遊タリ 看護婦二名ノ中増田女ハ此ノ仕事ヲ了ヘ十二時半頃辞去 西方女丈ハ小西氏ノ盡力ニテ今夜マデハ泊リ明朝新看護婦入来次第立チ去ル筈ナリ 右両名共来十六日当地ヲ発シ広島ヘ出張トノ事 御食事ハ今日ヨリ粥及刺身少々召上ル事トナリ 午後二時頃ヨリ五時頃マデ井伯ノ肖像画ヲ描キタリ 乾来リ共ニ晩餐ヲ喫ス 乾事不日陸軍ヨリノ御用ニテ清国ヘ旅行セントス 八時半頃ヨリ十時過マデ斎藤氏ト遺事録修正 合田九時頃来リ十一時半頃マデ語ル 同氏去リ直チニ寝室ニ入ル
 (受信) 鹿児島ヨリ 又台北横山林ヨリモ
五月十三日 金 曇 本日ハ余リ暖カナラズ