十一月二日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)かきかけのゑもだんだんすこしづゝできあがつていきますからおもしろいことです なニしろらいネんかぎりのことですから一しようけんめいニなつてほネををつてをります かごしまニかへつたらぜひさくらじまにいつてとうぢばのゑをかきたいもんだとおもつてをります につぽんへかへつたらかきたいものがたくさんでてくるだろうとぞんじます こまることニはにつぽんにハせんせいがないのとかいたゑがうれないのとです(中略) いつかおくつてあげましたおゝきなゑももうとつくについてをることゝぞんじます いまあれとおんなじおゝきさのを一まいにはでかいてをります(中略) くめさんはぶれはじまニやつぱりをります かわきたといふゑをかくひともそのしまニいつてをります わたしがいつていたころニハなつのことでしたからあそびニきてをるひともたくさんございましたがこのごろハもうみんなかへつてしまつてくめたちがふたりだけになりしづかでいゝことだそうです(後略) 母上様 新太拝
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
七月二十二日 土 川村竹治晩餐六時 京橋瓢屋 午前十時研究常務会 午後一時日本倶楽部 坂谷男会見