十二月十八日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)わたくしことハいつもながらげんきにてこのごろハがくこうでべんきようをいたしておりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このごろのこちらのさむさハずいぶんつようございます(中略) さてわたくしニらいねんぢゆうでかへつてきてハどうだとゆつてくださいますがらいねんともうしましてももうぢきニてらいねんぢゆうといつてもいまからようやく一ねんばかりのことそのくらいにてハどうもおもうようニかけるようニハとてもなるまいとぞんじます ちようどゑをかきはじめましてからことしで四ねんばかりニしきやなりませんよ そうしてはじめの一ねんハほかのけいこなんかをしてをつたもんですからゑのほうハつぎニなつてをりましたのです それでもわりニハはやくすゝみましてせんせいもよろこんでをるのです こないだいなかからもつてかへつてまいりましたゑをみせましたらそのうち一まいだけハできもわるくないからすこしあすここゝつくじりなをしてらいねんのきようしんくわいニだすようニしてみろ しかしうけとられるかどうだかそのへんのところハいまからうけあうことハできないと申ことでした なニしろいまがだいじなところニていません せいニはなれてにつぽんニかへりますれバもうそれぎりにて一せうへたにてくらさなけれバなりませんよ せつかくけいこをはじめましたのニこれからといふときニかへつてしまいましてハなんニもなりませんよ それともうちにおかねがなくまたほかからかりることもできずといふわけにてどうしてもこうしてもこつちニをればこじきをするよりほかニしかたがないといふのなればどうもいたしかたハございません けれどもなんにもそうゆうわけハないのですからせつかくのことまあどうしても二三ねんハたゞいまどうりニしぎようをいたしたいものでございます につぽんがもうちつとちかいところとかまたにつぽんにもせいようのようニじようずニゑをかくひとがたくさんをるとかいふわけならいまにつぽんへかへつていつてもまたちよつとこつちニでてくることもでくるしまたにつぽんニいてもしぎようができますがそういふわけニもいきませんからどうしてもひとなみニゑのかけるようニなるまでかなるべくならバひとなみよりすこしよくかけるようニなるまでハぜひこちらニをりましてじようずなひとのゑをみたりまたじようずなせんせいニついてしぎようをしたりいたしたいもんです そうしなけれバとてもよいゑがかくことハできませんよ わたしのせんせいもそうゆつてをりましたよ おまいなんかハすこしゑがかけるようニなつたらどうしてもにつぽんへかへつていかずバなるまいが一どかへつていつてそのままあんしんをしてひつこんでをるようなことでハいけない につぽんへいつたらいろいろめづらしいにつぽんのゑをかいてそれをもつてこつちへでゝきてきようしんくわいニもしじゆうだすようニするほうがいゝ なニしろべんきようしろと申てくれます こういふほどのことでございますからいまようやく四ねんばかりしぎようしたばかりでいゝきニなりにつぽんへかへつていくことハどうもいやでございます につぽんニをるゑかきのひとたちのまへニもはづかしくてでることハできませんよ どうぞそのわけをあなたさまより父上様へ申上げてくださいましてもう二三ねんハどうしてもこつちニをるようにしてくださいまし わたしもはやくかへりとうハございますけれどもそんなかんがヘハつまらないこどものようなかんがへにてなニよりもだいじなのハゑがよくかけるようニなることですよ(後略) 母上様 新太拝
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
三月十八日 水 雨 午後二時長谷場議長葬儀ニ列シ又岡野方ニ立寄ル 晩食後岩村君来訪 十一時過マデ快談